2024年12月19日木曜日

東叡山 寛永寺 一乗院・薬王山 一乗院

天台宗 東叡山 寛永寺の子院一乗院は、寛永十七年(1640)に創建。本堂の左にあったが元禄に移転。(東叡山寛永寺子院記)(SHINDEN)慶応四年(1868)の彰義隊の戦(上野戦争)では、焼失せず残ったようであるが其の後廃寺。

新義真言宗 薬王山 一乗院は、愛宕眞福寺の末寺として下谷上野町に寛永五年(1628)に起立。其の後廃寺。(関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行)

年中諸用控 「一小玉山口ヅヽ 一乗院 正七 両度但し旦那様御名前ニ而包 正月年頭之節持参可致事 七月廿五日持参可致事」「一同 イロヅヽ 同院 正七 両度 但し支配人名前也」「一銀七匁五分 同院 正月不動講 尤小一ゟ集ムル 護摩料」「一金百匹 同院 十二月遣ス也 祈祷料」小玉山口、イロは符帳。正七は正月、七月。小一は屋号。

年中諸用控の一乗院は、宗派、地名の記載もないためどちらか不明です。湯島切通町の家守伊勢屋甚兵衛は真言宗下谷上野町一乗院の旦那です(小津家文書3-99「家守請状之事」)。(小津史料館 小西良明)

SHINDEN 寛永寺関連旧跡

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