妙義神社には、別当(神社を管理する寺)として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった。現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の仁王門である。神社の総門となった現在も、左右に仁王像が祀られている(妙義神社 - Wikipedia)。
年中諸用控 「一鳥目弐百銅 妙儀山 年頭御札御持参候節遣ス 荒木清□」
万内所之帳 「戌正月十七日 一金子百五拾両 手代伊兵衛預ヶ置 但シ上州下仁田と申所へ商ニ使申候事右之金ニ毎年金子拾五両ツヽ上せ申筈也 右之金子百四拾両ニして手形有、仕合次第ニ急度相済シ申筈ニ而候」
元禄七年(1694)正月十七日、江戸本店手代伊兵衛が下仁田に紙か繰綿の買付け金百五十両である。 (小津史料館 小西良明)
妙義神社 http://myougi.or.jp/
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