2020年3月30日月曜日

十組鰹節・塩干肴問屋 文政七年(1824年)

小舟町には、西堀留川に面し、鰹河岸があり問屋が多くありました。この川は現在埋め立てられ、ビルが立ち並ぶ、小津商店所有のキュロコ小津ビルは、そのなかの一棟。
川の反対側に米河岸があり、伊勢町に米問屋が多くあったが、現在は、昭和通りの一部となっている。
絵図は、俚俗江戸切絵図 喜多川周之図 有光書房の一部分です。原図は、日本橋北尾張屋版です。

「江戸買物獨案内」文政七年(1824年)の復刻本を小津史料館に展示しています。
江戸買物獨案内 十組 濱吉組 鰹節・塩干肴問屋 21軒
掲載順
1.尼屋傳次郎、麹町二丁目
2.伊勢屋次右衛門、日本橋元四日市
3.遠州屋傳兵衛、小舟町二丁目
4.遠州屋新兵衛、小舟町三丁目
5.伊勢屋伊兵衛(高津伊兵衛)、日本橋瀬戸物町、勢州四日市
6.住吉屋武兵衛、日本橋元四日市
7.村田屋伊兵衛、小舟町二丁目
8.大坂屋武兵衛、小舟町三丁目
9.伊勢屋武右衛門、日本橋通二丁目
10.鎌倉屋庄兵衛、日本橋元四日市
11.相模屋忠左衛門、日本橋四日市下町
12.虎屋彌三郎、小舟町三丁目
13.榎坂屋卯兵衛、小舟町三丁目
14.住吉屋伊兵衛、小舟町二丁目
15.大橋太郎次郎(小津清左衛門)、本町四丁目、勢州松坂
16.栖原屋平八、日本橋青物町、紀州
17.油屋勘兵衛、小舟町三丁目
18.伊勢屋善兵衛、小網町二丁目
19.丸屋喜三郎、日本橋釘店
20.丸屋治郎兵衛、日本橋室町一丁目
21.丸屋源三郎、日本橋室町一丁目

小津清左衛門の店は、15番目の大橋屋で紙・茶・鰹節の十組問屋株を持ち営業しているが、本店小津屋は、嘉永四年(1851年)三月、株仲間再興令の時には鰹節問屋株を取得していたようである。江戸店支配人から清左衛門や別家個人へ塩鮭が贈答として送られている。(小西)

2020年3月27日金曜日

十組茶問屋 文政七年(1824年)


浬俗江戸切絵図部分
茶問屋は、本町四丁目、大傳馬町一丁目、二丁目、通旅篭町と隣り合って続く町にありました。勢州の江戸店が多く。紙問屋・茶問屋の場合が多いようです。

左の絵図は、俚俗江戸切絵図 喜多川周之図 有光書房版の部分です。原図は、日本橋北 尾張屋版です。
 小津清左衛門の店は、小津茶・紙、小津木綿と書き込みがあります。

切絵図と裏面名所・史跡案内は、小津和紙で新たに制作、販売しています。A3判 価格330円(本体300円+消費税)
上記切絵図とA4判クリアファイルのセットは、価格550円(本体500円+消費税)、クリアファイルは、東都大傳馬町繁栄之図/新板大江戸持〇長者鑑

「江戸買物獨案内」文政七年(1824年)の復刻本を小津史料館に展示しています。

江戸買物獨案内 十組諸国茶問屋20軒、内兼銘茶問屋5軒 
掲載順
1.諸国茶問屋、小津屋次郎左衛門(小津)、通旅篭町、勢州松坂
2.諸国茶銘茶問屋、中野屋惣助、大傳馬町二丁目
3.諸国茶銘茶問屋、冨田屋利兵衛、通旅篭町、勢州
4.諸国茶問屋、大橋屋太郎次郎(小津清左衛門)、本町四丁目、勢州松坂
5.諸国茶問屋、茗荷屋善五郎(岡田)、大傳馬町一丁目、勢州白子
6.諸国茶問屋、長井屋利兵衛(長井)、本町四丁目、勢州松坂
7.諸国茶問屋、大和屋三郎右衛門(西村)、本石町四丁目、勢州相可
8.諸国茶問屋、長崎屋瀬兵衛(中條)、堀留町二丁目、勢州津
9.諸国茶問屋、湊屋源三郎(服部)、堀留町二丁目、勢州山添
10.諸国茶問屋、中條屋瀬兵衛(中條)、伊勢町、勢州津
11.諸国茶問屋、榛原屋藤助、元四日市町
12.諸国茶問屋、山本屋加兵衛(山本)、日本橋通二丁目、城州宇治
13.諸国茶問屋、住吉屋利三郎、南新堀一丁目、勢州
14.諸国茶問屋、白子屋仁兵衛、小舟町三丁目
15.諸国茶銘茶問屋、中屋善助、北新堀町
16.諸国茶銘茶問屋、西村屋新次郎、大傳馬町二丁目
17.諸国茶銘茶問屋、板屋與兵衛、大傳馬町二丁目、勢州
18.諸国茶問屋、中村屋三郎右衛門、大傳馬町一丁目
19.諸国茶問屋、小津屋六兵衛(小津)、堀江町一丁目、勢州松坂
20.諸国茶問屋、萬屋彦治郎、本郷四丁目

 小津の店名は、伊勢国松坂本町の小津清兵衛末友(1590~1652)が、大傳馬町二丁目に茶店を出します。奉公人甥の小津三郎右衛門道休(1612~88)は独立して木綿店を開業します。その兄小津次郎右衛門宗運(1612~80)は、紙店を開業、叔父清兵衛の茶店を譲り受けますが弟小津六兵衛宗祐(?~1693)に譲ります(19番目の店)。小津次郎左衛門宗甫(1605~49)は、清兵衛茶店の最初の支配人で別家となり、独立開業した店が1番目となっています。
 また、小津清左衛門長康(1681~1741)の妻玉(1692~1762)は、小津清兵衛道生の三女、清兵衛末友の孫で、本居宣長(1730~1801)の父小津三四右衛門定利(1695~1740)とは従兄弟になります。
 家印の鱗久(ウロコキュウ)は、紙店小津屋清左衛門、木綿店小津屋三四右衛門(小津屋三郎右衛門と合併)、茶店小津屋六兵衛の三店は、同じ家印です。

 小津清左衛門は、向店と呼ばれる大橋屋で4番目になっています。
大橋屋は、JR中野駅前で日本茶専門店として営業を続けています。(小西)
 O H A S H I http://ohashi-cha.blogspot.com/

2020年3月26日木曜日

十組繰綿問屋 文政七年(1824年)

「江戸買物獨案内」文政七年(1824年)の復刻本を小津史料館に展示公開しています。
繰綿は、綿花の種子をのぞいた繊維の部分で、精製されていない綿のことです。江戸時代は「操綿」とも書かれました。木綿問屋は、当初繰綿問屋株を持っていたようですが、繰綿相場で失敗する問屋が多く少なくなりました。呉服問屋は真綿問屋株を持っていました、真綿は絹の一種で蚕の繭からとれる綿のことです。

江戸買物獨案内 十組繰綿問屋 15軒
掲載順
1.小津屋清左衛門(小津)、大傳馬町一丁目、勢州松坂
2.伊勢屋徳三郎、本船町
3.長谷川屋次郎吉(長谷川)、大傳馬町一丁目、勢州松坂
4.伊藤屋利助(伊藤)、大傳馬町一丁目、尾州名古屋
5.白木屋彦太郎(大村)、日本橋通二丁目、京
6.綿屋鉄太郎、日本橋通二丁目
7.恵比寿屋八郎左衛門(島田)、尾張町二丁目、京
8.越後屋八郎兵衛(三井)、駿河町、京
9.大丸屋正右衛門(下村)、通旅篭町、京
10.嶋屋半兵衛、室町一丁目、江州
11.枡屋九右衛門(岩城)、麹町五丁目、京
12.伊勢屋次兵衛、四ツ谷傳馬町三丁目
13.伊勢屋又治郎、新大坂町
14.大文字屋次兵衛(西川)、日本橋通四丁目、江州
15.森田屋善吉、本船町

本店小津屋清左衛門は紙問屋なのに繰綿・真綿問屋株を持っていました、分家小津権右衛門は、小津屋権右衛門名で繰綿問屋でしたが、この時は木綿問屋伊勢屋権右衛門のみとなっています。本店は文化十三年(1816年)真綿問屋を休業、紙と繰綿を主力にします。明治になると紡績や製綿所を設立していきます。(小西)

2020年3月25日水曜日

十組紙問屋 文政七年(1824年)

江戸買物獨案内(復刻本)
「江戸買物獨案内」文政七年(1824年)の復刻本を小津史料館に展示公開しています。
国立国会図書館デジタルコレクション
江戸買物独案内 2巻付1巻. 上巻https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8369320


十組紙問屋 46軒
掲載順
1.大和屋三郎右衛門(西村三郎右衛門)、本石町四丁目、勢州相可
2.小津屋清左衛門(小津清左衛門)、大傳馬町一丁目、勢州松坂
3.村田七右衛門(村田七右衛門)、本町四丁目、勢州白子
4.大橋屋小左衛門、通旅籠町、京都
5.青梅屋九兵衛(駒田九兵衛)、通塩町、勢州多門
6.相模屋利兵衛、新材木町
7.井筒屋清兵衛、通旅籠町
8.山本屋嘉兵衛(山本嘉兵衛)、日本橋通二丁目、城州宇治
9.相模屋清兵衛、通新石町
10.伊坂屋重右衛門、南新堀一丁目、勢州
11.多田屋新兵衛、南新堀二丁目
12.大橋屋太郎次郎(小津清左衛門)、本町四丁目、勢州松坂
13.寺本屋彦右衛門(寺本彦右衛門)、木材本町
14.伊勢屋武右衛門、日本橋通二丁目
15.紙屋彌兵衛(岡本彌兵衛)、本所松坂町一丁目、武州栗山
16.小津屋治郎右衛門(小津次郎右衛門)、通旅籠町、勢州松坂
17.小森屋治郎兵衛、本町四丁目
18.西村屋久左衛門、田所町
19.伊勢屋長兵衛、南傳馬町三丁目、勢州
20.伊勢屋八兵衛、南傳馬町三丁目
21.伊勢屋源兵衛、南傳馬町一丁目
22.大和屋喜左衛門、本郷一丁目、勢州
23.森田屋半兵衛、南新堀一丁目
24.萬屋甚兵衛、芝田町九丁目
25.湊屋源三郎(服部源三郎)、堀留町一丁目、勢州山添
26.和泉屋忠右衛門、麹町六丁目
27.伊勢屋善右衛門、横山町一丁目
28.伊勢屋作兵衛、五郎兵衛町、勢州
29.松坂屋半右衛門(柏原孫左衛門)、新両替町四丁目、京
30.萬屋小兵衛(深山小兵衛)、飯倉町二丁目
31.越前屋源兵衛、宇田川町
32.伊勢屋卯兵衛、麹町三丁目
33.小野寺屋重兵衛、本郷一丁目
34.伊勢屋儀兵衛、浅草諏訪町
35.萬屋彦次郎、本郷四丁目
36.内田屋吉兵衛、神田旅篭町一丁目
37.伊勢屋吉兵衛、神田鍋町
38.丸屋茂兵衛、本石町二丁目
39.相模屋新助、小石川仲町
40.和泉屋加右衛門、弥左衛門町
41.萬屋六兵衛、神田佐柄木町
42.榛原屋仙治郎、日本橋通一丁目、遠州
43.那須屋仁左衛門、庄助屋敷
44.桔梗屋小兵衛、十軒町
45.伊達屋彌七、大傳馬町二丁目
46.萬屋六兵衛、元飯倉町

掲載は売上順と思われ、ベスト3は、紀州和歌山藩の勢州三領の田丸(相可)、松坂、白子となり、木綿問屋同様勢州の江戸店が多くあります。小津清左衛門は、2番目本店と十二番目向店である。向店は、寛永元年(1748年)十一月、勢州白子の次兵衛から家屋鋪表口八間を譲り受け、天明四年(1784年)六月、その店子の勢州山田一の木、御師大橋又太夫から名跡を譲り受けた店(紙・茶)で奉公人ごと引き継ぎました。4番目の大橋屋は、同じ勢州山田の御師の店かもしれません。(小西)

2020年3月23日月曜日

十組木綿問屋 文政七年(1824年)


江戸買物獨案内(複製本)
「江戸買物獨案内」文政七年(1824年)の複製本を小津史料館に展示公開しています。
国立国会図書館デジタルコレクション
江戸買物独案内 2巻付1巻. 上巻
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8369320


掲載順
十組木綿問屋 大伝馬町組 大伝馬町一丁目 21軒
1.長谷川屋源右衛門(長谷川)、勢州松坂
2.大和屋九郎左衛門(長井)、勢州松坂
3.丹波屋次郎兵衛(長谷川)、勢州松坂
4.田端屋次郎左衛門新店(田中)、勢州津
5.田端屋次郎左衛門本店(田中)、勢州津
6.大和屋三郎兵衛(長井)、勢州松坂
7.伊勢屋権右衛門(小津)、勢州松坂
8.布袋屋善右衛門(嶋田)、京
9.川喜田屋久太夫(川喜田)、勢州津
10.長谷川屋次郎吉(長谷川)、勢州松坂
11.升屋七左衛門(久須木)、江戸大伝馬町一丁目住
12.中屋喜三郎
13.伊藤屋利助(伊藤)、尾州名古屋
14.奈良屋伊右衛門(澤の井)、京
15.丸屋藤助、江戸小日向水道町住
16.綿屋宗兵衛(長井)、勢州松坂
17.川喜田屋平四郎(川喜田)、勢州津
18.大黒屋三郎助、勢州
19.戎屋六郎次(長谷川)、勢州松坂
20.亀屋武右衛門(長谷川)、勢州松坂
21.嶋屋六兵衛(岡本)、勢州松坂

十組木綿問屋 白子組 12軒
1.伊豆蔵屋吉右衛門(鈴木)、本町四丁目、京
2.大黒屋三郎兵衛(杉浦)、本石町四丁目、京
3.柏屋孫左衛門(柏原)、本町四丁目、京
4.恵比寿屋八郎左衛門(島田)、尾張町弐丁目、京
5.大黒屋吉右衛門、通油町、江州
6.枡屋九右衛門(岩城)、麹町五丁目、江州
7.嶋屋半兵衛、室町一丁目、江州
8.越後屋八郎兵衛(三井)、駿河町、京
9.白木屋彦太郎(大村)、日本橋通一丁目、京
10.大丸屋政右衛門(下村)、通旅籠町、京
11.蔦屋市郎左衛門、馬喰町四丁目
12.槌屋幸助、青物町

木綿問屋は、当初大傳馬町一丁目に店を出すことが条件で株を取得していたため、呉服店の布袋屋、伊藤屋、奈良屋が出店。しかし呉服店仲間で木綿を扱うために白子組が結成された。

掲載は、売上順と思われ、小津清左衛門の木綿店は7番目の伊勢屋権右衛門で分家に店を任していました。長谷川次郎兵衛は五店あり、1番目新店、3番目本店、10番目向店と呼ばれ、19番目分家南家、20番目分家西家の店です。(小西)

東京大学 経済学図書館・経済学部資料室 コレクション  特別資料  白木屋文書
http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/?page_id=1930

2020年3月21日土曜日

小津清左衛門 江戸三店 弘化四年(1847年)

小津清左衛門長柱(1811~76)は、津の蘭方医、筒井孝伯美顕の三男で天保七年(1836年)婿養子となり、天保十一年(1840年)四月、家督を相続し清左衛門に改名。同年十月十三日に紀州和歌山藩から八十五人扶持、御蔵米三拾俵、独礼格地士を仰付られ、御為替組御用を勤めます。江戸は、本店(紙・操綿・鰹節・下り傘)、太物店(木綿)、向店(紙・茶・鰹節)の三店があり、長柱は本家店、松坂本町に居住。長柱日記、弘化三年(1846年)一月、江戸本郷丸山辺より出火、大橋店山本蔵一ヶ所、本店台所、霊岸島紙荷物蔵一ヶ所、木綿店大落焼失とあり。
弘化四年(1847年)頃 屋敷図 

復興後の弘化四年(1847年)頃の屋敷図
 緑:本店
(小津屋清左衛門)
 青:太物店
(伊勢屋清左衛門)
 茶:向店
(大橋屋太郎次郎)

「東都大傳馬街繁栄之図」歌川広重筆が描かれた天保~弘化の頃です。




屋敷図
屋敷図は、小津史料館で展示公開しています。(上記の作成図は、方向を変えています。)
 図には、大伝馬町一丁目南側、奈良屋伊右衛門(京の澤の井喜右衛門)、職人町(松坂)、長井(大和屋三郎兵衛)、田端屋本店、新店(津の田中次郎左衛門)、升屋七左衛門(家持居住、久須木七左衛門)、北側、布袋屋(京の嶋田善右衛門)、本町四丁目南側、砂糖店大坂屋由兵衛、薬種店近江屋久七、薬種店伊勢屋清左衛門(星野清左衛門)、荒物店近江屋庄助、北側、帳屋(小津清左衛門雇人家守、帳屋又兵衛)、本石町四丁目、に志免屋、大野宗甫(医者)、加印大和屋住居(紙店、茶店、本草学者、西村三郎右衛門廣休(1816~89)、勢州相可村)がわかります。

新板大江戸持〇長者鑑(クリアファイル)
「新板大江戸持〇長者鑑」弘化三年(1846年)改、正源堂板
中央の行司右側に傳馬町小津清左衛門、東前頭九枚目に本町大橋太郎次郎とあります。
 クリアファイルの裏面は「東都大傳馬町繁栄之図」で小津史料館オリジナル、小津和紙で販売しています。古地図とセットで550円(税込)

弘化五年(1848年)二月、大橋店の隣家屋敷表五間を京の田中三郎兵衛から金千三百両で譲り受けます。(小西)

2020年3月20日金曜日

大伝馬町一丁目 元文五年(1740)

大伝馬町一丁目は、宝田村居住の御伝馬役、三河国出身佐久間善八、伊勢国出身赤塚屋善右衛門、久須木七左衛門、久保寺四郎右衛門、冨屋四郎左衛門が、慶長十一年(1606年)に替地として無沽券(家持)で移住した町人が始まりで、佐久間は御伝馬役兼務で名主となり、四人は配下の伝馬役勤めですが寛永年間に木綿問屋を開業します。その後、木綿仲買問屋が開業し、明暦三年(1657年)、明暦の大火があり、その年株仲間の独占禁止令がでます。貞享三年(1687年)、木綿問屋が成立します。これは、今までの木綿問屋四軒は売場問屋へ、木綿仲買は木綿問屋七十軒となります。元禄七年(1694年)、十組問屋が結成され、文化十年(1813年)、十組問屋の再編に伴って結成された菱垣廻船積問屋仲間と呼ばれる株仲間に加入して冥加金を納めることとされ、大伝馬町組・白子組合わせて44軒で毎年1000両の冥加金を納付、天保十二年(1841年)二月の株仲間解散令の時、大伝馬町組は21軒でした。
貞享三年(1687年)二月四日付の長谷川木綿店古帳に売場問屋をのぞく問屋名簿があり、店が変わると上から紙を貼付し新店名を記載、元文五年頃までの56軒の記録です。
 一橋大学附属図書館所蔵コレクション 大伝馬町長谷川木綿店古帳
  https://www.lib.hit-.ac.jp/retrieval/collections_bunken/collections/hasegawacotton/
大傳馬町長谷川木綿店古帳から作成
木綿店古帳記載順(南側から北側)
 大和屋三郎兵衛
 中田治右衛門
 加嶋屋次郎兵衛、正保二年(1645年)開業
 田中次郎左衛門(田端屋)
 澤野甚左衛門、明暦元年(1655年)開業
 中屋久兵衛、寛文五年(1665年)開業
 大黒屋次郎三郎
 小津孫右衛門、寛文五年(1665年)開業
 岡本六兵衛(嶋屋)、明暦元年(1655年)開業
 田蔵勘三郎(田倉屋)、寛文五年(1665年)開業
 入澤新太郎(安野屋)、寛文五年(1665年)開業、寛保元年(1741年)廃業
 中屋久兵衛
 人見七右衛門(白子屋)、明暦元年(1655年)開業
 山村伊之助
 大黒屋三右衛門
 伊勢屋治郎左衛門
 岡本権平、正保二年(1645年)開業
 川喜田四郎兵衛、元禄十一年(1698)開業
 嶋本治郎右衛門(嶋屋)、元文二年(1737年)開業
 地主宗兵衛、元禄十五年(1702年)開業
 村田又右衛門
 長井九郎左衛門(大和屋)、元禄十一年(1698)開業
 小津三左衛門(嶋屋)
 濱嶋傳右衛門、元禄十二年(1699年)開業
 長嶋宗兵衛(和泉屋)、明暦元年(1655年)開業、寛保元年(1741年)廃業
 田中惣兵衛(桑名屋)、正保二年(1645年)開業
 長谷川庄兵衛(菱屋)、正保二年(1645年)開業
 岡本四郎兵衛(玉屋)、寛文十年(1670年)開業
 篠原長右衛門(宇路こ屋)、正保二年(1645年)開業
 石河庄兵衛(石川屋)、明暦元年(1655年)開業
 長井与兵衛、元禄十年(1697年)開業
 中條瀬兵衛(長崎屋)、寛文十年(1670年)開業
 長谷河市左衛門(布屋)、寛永十二年(1635年)開業
 中村喜左衛門
 長谷川武右衛門(亀屋)、享保十年(1725年)開業
 南部藤兵衛
 高岡久兵衛(一文字屋)、明暦元年(1655年)開業
 長谷河次郎兵衛(丹波屋)、延宝三年(1675年)開業
 同源右衛門(長谷川屋)、元禄十五年(1702年)開業
 山村吉右衛門
 奥井勘兵衛(大黒屋)、元禄十一年(1698)開業
 川口半左衛門、元文五年(1740年)廃業
 徳力与兵衛、寛永十五年(1638年)開業
 村田屋傳兵衛
 岸野三郎兵衛、正保二年(1645年)開業
 長井源太郎(橘屋)、寛文五年(1665年)開業
 油屋甚右衛門、元禄十五年(1702年)、絹商売から太物店に転業
 河喜田久太夫、寛永十二年(1635年)開業
 芝原三郎兵衛、延宝六年(1678年)開業
 竹内四郎兵衛(藪屋)
 地主九兵衛、延宝八年(1680年)開業
 小津小右衛門、延宝三年(1675年)開業
 地主平右衛門
 濱田勝助、明暦元年(1655年)開業
 地主平三郎
 小津三四右衛門、明暦元年(1655年)開業、元文五年(1740年)休業
 村田平左衛門、元禄十一年(1698)開業
 小津清左衛門(伊勢屋)、元禄十一年(1698)開業
 地主宗三郎、元禄十五年(1702年)開業
記載外
 久須木七左衛門(升屋)、寛永三年(1626年)開業、木綿売場問屋
 長井作十郎、元禄十五年(1702年)開業、木綿売場問屋
 小津清左衛門(小津屋)、承応二年(1653年)開業、紙問屋
 岡田治兵衛(茗荷屋)、醤油・茶問屋、木綿問屋は明暦元年(1655年)開業、元文二年(1737年)合力
 (小西)

2020年3月19日木曜日

大伝馬町一丁目 享保五年(1720年)

徳川吉宗(1684~1751)は、宝永二年(1705年)、紀州和歌山藩五代藩主、享保元年(1716年)、第八代将軍となり、伊勢の山田奉行だった大岡忠相(1677~1752)を南町奉行に任命し、享保の改革を行います。享保五年(1720年)、江戸町火消しいろは四十八組を設置、大伝馬町は「は組」、町人(家持)は、伊勢国出身の久須木家、長井家、小津家などで、又店借は伊勢商人、特に紀州和歌山藩領の勢州白子、松坂、田丸(相可)の江戸店が多くあり改革に協力し ました。

小津屋清左衛門(紙問屋)
 小津清左衛門長康(1681~1741)は、宝永七年(1710年)、父長生から家督を相続し清左衛門と改名しています。享保十四年(1729年)に松坂、大年寄役に仰せつけられています。江戸店は家持。松坂住。
小津清左衛門(伊勢屋、木綿問屋)
 小津孫太夫長英(1678~1731)は、長康の兄で元禄十四年(1701年)に分家し、父長生から木綿問屋伊勢屋を譲り受けています。江戸店は本家から店借。松坂住。
小津屋小右衛門(木綿問屋)
 小津小右衛門泰広(?~1738)は、両親は、土浦の醤油問屋小津小右衛門で土浦で没、母は清左衛門長生四女常、宝永七年(1710年)、清左衛門長生から金百両受領、享保十四年(1729年)、小津小右衛門合力願出。土浦住カ。
小津屋三四右衛門(木綿問屋)
 小津三四右衛門定治(1658~1729)、延宝五年(1677年)、伯父道休の養子となり家督を相続、江戸堀留町に煙草店、両替店を開業、元禄九年(1696年)に小津屋三郎右衛門四代目支配人だった別家小津十右衛門正圓の木綿問屋を譲り受け、元禄十年(1697年)、三郎右衛門、三四右衛門、十右衛門の三店を統合し、十右衛門店を本店としました。松坂住。
小津屋孫右衛門(木綿問屋)
 小津源四郎躬充(1697~1768)、兄孫右衛門元閑没後相続、享保二十年(1735年)小津屋孫右衛門営業不振の為合力願出。松坂住。
丹波屋次郎兵衛(木綿問屋)
 長谷川次郎兵衛政幸(1645~1740)、木綿問屋布屋市左衛門に奉公し、延宝三年(1675年)丹波屋次郎兵衛開業、元禄十五年(1702年)、木綿問屋江嶋屋茂兵衛を譲り受け、長谷川屋源右衛門を開業。松坂住。
長谷川屋源右衛門(木綿問屋)
 長谷川次郎兵衛元忠(1686~1746)、元禄十五年(1702年)、父政幸から長谷川屋源右衛門を任される。松坂住。
布屋市左衛門(木綿問屋)
 長谷川四郎兵衛道由(?~1743)、父市左衛門道専から相続。松坂住。
大和屋九郎左衛門(木綿問屋)
 長井九郎左衛門常尚(1654~1735)、元禄九年(1696年)、木綿問屋大和屋市兵衛から譲り受け、大和屋九郎左衛門を開業。松坂住。
松坂屋長兵衛(木綿問屋)
 小野田八助孝俊(1682~1721)、益田助右衛門弟宗七、妻は三井北家三井高平女すた。宝永元年(1704年)、江戸本町二丁目呉服店松坂屋八助の経営が三井家に移る。三井連家小野田家初代。京小川町住。

三百年後の現在の大傳馬町一丁目は、北側南側二十間の町は中央に分断する道ができ、地名は日本橋本町三丁目と変わっています。そして営業を続ける店は小津屋清左衛門の株式会社小津商店一軒のみとなりました。(小西、8月13日図更新)

2020年3月16日月曜日

於竹大日如来 後編

小津史料館展示棚
小津史料館は、於竹大日如来を紹介しています。
展示は、「於竹大日如来の由来」、嘉永二年(1849年)三月二十五日より六十日間、両国回向院に於いて行われた出開帳時に売られた錦絵四枚(複製)「於竹大日如来の由来」国麿筆、「於竹大日如来だい所どうぐさんけいのづ」国芳筆、「無題(狂歌 下女如来障子にうつる法のかげ)」国芳筆、「於竹大日如来由来」国芳筆、閉帳後に摺られた「於竹大日如来開帳奉納品物集」(松阪市所蔵)(複製)、桂昌院の流し板の紹介、於竹大日如来木像の紹介戊辰(1868年)の五月、小津太物店の口演、平成二十八年の新聞記事やテレビニュースなどパネルで紹介しています。
松阪市史料叢書第五集「小津清左衛門長柱日記(五)」松阪市教育委員会発行、小津清左衛門長柱(1811~76)松坂居住の日記には、嘉永二年(1849年)三月廿九日、大納言様御逝去ニ付今日ゟ普請鳴物停止ニ候事、三月廿八日大納言様御逝去ニ付慎ゆるめ振左之通(以下略)、四月二日、大納言様御逝去ニ付、一位様、菊千代様江御機嫌窺、常服ニて御城代幷月番奉行衆玄関罷出可申候事 同六日、此度江戸表於回向(院)羽州お竹大日如来尊開帳之由久臓ゟ申来、同八日、来ル廿八日夕出羽お竹大日如来尊御当着ニて殊之外賑々敷由有之候様申越、右者馬込氏又手前店由緒書有之由、佐久間家ニ付先年之節茂馬込様方ゟ被仰御熟談之上水引出来之由、拾四両程掛り御座候由八郎兵衛申居候、尤久臓方へ可然様相談之上可致様申遣ス、右之事申出候、同十一日、回向院ニて春相撲、去三十日千秋万歳相済候由、右ニ付木村庄太郎より勝負附被呉候事。
須藤由蔵(1793~?)の藤岡屋日記には、開帳三月廿五日初日之処右開帳の場所ニて勧進相撲興業有之候処小金御鹿狩、猶又雨天打続きて延引致し五日取残し候ニ付相撲小屋取払難く候ニ付開帳四月五日初日と相極メ、三月二十八日千住より江戸着也、道筋ハ千住より浅草通り、観音広小路より下谷通り、御成街道、内神田通り、今川橋、本町曲り、傳馬町通り、両国橋、回向院着也、(省略)四月五日開帳初日之処、同月四日ニ紀伊殿逝去ニ付、七日之間鳴物停止之御触出候故、同月十日御停止明ニ付、同月十一日ニ開帳相始メ申候(以下略)
 両日記から四回目の出開帳は、二回の延期の後、始められました。
羽黒山叢書第一
「羽黒叢書第一於竹大日如来 羽黒山修験本宗大本山荒沢寺正善院」は平成二十八年(2016年)九月二十五日~十月三十日に行われた居開帳時に発行。
表紙の絵は於竹大日堂に納められている於竹大日昇天図板絵額・国芳筆、奉納者は大傳馬町二丁目丁子屋平兵衛で「於竹大日如来開帳奉納品物集」にも描かれています。丁子屋平兵衛(岡田平兵衛)は書肆文渓堂で南総里見八犬伝など板元で知られています。天保十三年(1842年)十月、無許可販売で御咎めを受け所構にて小伝馬町より大伝馬町二丁目へ引越しています。 

於竹大日如来縁起(碑文) 
於竹大日如来縁起
於竹大日如来は寛永十七年(一六四〇)(十八歳の時)山形県庄内よりでて、当時の江戸大伝馬町馬込家の召使となる。 その行いは何事にも誠実親切で 一粒の米 一きれの野菜も決して粗末にせず貧困者に施した。 そのため於竹さんのいる勝手元からはいつも後光がさしていたという。 出羽の国の行者乗蓮と玄良坊が馬込家をおとづれ「於竹さんは羽黒山のおつげによると大日如来の化身である」とつげた。 主人は驚き勝手仕事をやめさせ 持仏堂を造り その後念仏三昧の道に入る。 これが江戸市中に拡がり 於竹さんを拝もうと来る人数知れずと言う。
 於竹さんの詠んだ歌に
  手と足はいそがしけれど南無阿弥陀仏 口と心のひまにまかせて
延宝八年(一六八〇)五月この世を去る 行年五十八
 五代将軍綱吉公の母堂桂昌院の歌に
  ありがたや光と共に行く末は 花のうてなに於竹大日
於竹さんが愛用し貧困者が市をなしたと言う有名な於竹井戸はこの地にあった。
  昭和四十六年(一九七一)五月吉祥
     史蹟 於竹大日如来保存会
注・碑文に「馬込家」とあるのは、佐久間家と馬込家を同一とする説によったものである。

佐久間家は三河国出身、馬込家は遠江国出身で、天正十八年(1590年)八月朔日に徳川家康の御供で江戸入りし宝田村に住居し御伝馬役を務とめ、慶長十一年(1606年)大傳馬町成立と同時に移転、佐久間家は大傳馬町一丁目の名主に馬込家は大傳馬町二丁目の名主となりそれぞれ御伝馬役を兼務しています。菩提寺は、佐久間家は心光院、馬込家は善徳寺。(小西)

2020年3月14日土曜日

於竹大日如来 前編

佐久間善八屋敷

上総国生れ 徳右衛門女(むすめ)佐久間善八屋敷で下女として働き、大日如来の化身とされました。寛永十五年(1638年)三月二十一日卒 佐久間善八は、心光院に京の仏師が彫刻した大日如来の像を安置、 桂昌院(1627~1705)は、流し板を奉納しました。
 心光院 https://shinkoin.com/
小津清左衛門長弘(1625~1710)は、寛永二十年(1643年)紙店に奉公し、承応二年(1653年)に井上仁左衛門から紙店を譲り請け小津屋を創業、延宝五年(1677年)に薬種店大坂屋八右衛門の空き店を譲り請け拡張しています。
馬込勘解由喜與(?~1715)は、寛文六年(1666年)に佐久間善八等と羽黒山正善院黄金堂境内に於竹大日堂を建立し於竹の像を安置、延宝八年(1680年)五月十九日に浅草善徳寺に石碑を建立。石碑に性岸妙智信女とあり。喜與の祖父は三河国大給藩初代藩主松平縫殿頭、妻は馬込勘解由宗円女香。後妻は佐久間善八女。
 黄金堂 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143898
 善徳寺 猫の足あと https://tesshow.jp/kita/temple_akabanew_zentoku.html
馬込勘解由雅珍(?~1742)は、元文五年(1740年)春に別当蓮台寺に参り、七月朔日~閏七月晦日迄 湯島天神に於いて蓮台寺によって大日如来出開帳が行われました。このとき仏大日如来 荒沢不働明王、本尊二躰玄関へ居えていました。
馬込勘解由忠興(1733~98)の時、安永六年(1777年)七月朔日より六十日間、芝愛宕の円福寺に於いて玄良坊によって二回目の大日如来出開帳が行われました。
馬込勘解由是承(1754~1820)の時、文化十二年(1815年)七月廿一日より六十日間、浅草金龍山境内念仏堂に於いて湯殿山黄金堂玄良坊によって三回目の大日如来出開帳が行われました。
馬込勘解由惟長(1814~84)の時、嘉永二年(1849年)三月廿五日より六十日間、両国回向院に於いて湯殿山黄金堂玄良坊によって四回目の大日如来出開帳、本尊於竹大日如来木像座像、不動明王木像を脇に安置し行われました。
史蹟、於竹大日如来井戸跡
昭和四十六年(1971年)五月、於竹大日如来保存会は、小津本館ビルの一角に「史蹟、於竹大日如来井戸跡」を建立。
 小津330年史 お竹大日如来のゆかりhttps://www.ozuwashi.net/330/027.html
平成二十八年(2016年)九月二十五日~十月三十日迄 羽黒山正善院に於いて黄金堂出羽三山大権現御開帳、於竹大日堂於竹大日如来居開帳が行なわれました。
お竹さんについては、湯殿山の麓生れや没年など異説があり、小津木綿店で、関東大震災で焼失するまでは毎月十九日の命日にお竹大日如来の木像(約三尺という)を開帳し、お祀りするのが例となっていました。現在は延宝八年(1680年)五月十九日を命日とし、毎年五月十九日に大安楽寺にて法要が行われています。(小西)
 大安楽寺 猫の足あと https://tesshow.jp/chuo/temple_kodenma_daianraku.html
 国際日本文化研究センター 『於竹大日如来縁起絵巻』  
 http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/otake/index.html

2020年3月9日月曜日

佐久間善八屋敷(現小津本館ビル)

道中伝馬役佐久間善八は、宝田村から慶長十一年(1606年)大傳馬町一丁目成立と同時に移転し名主となり、伝馬役と名主を代々勤めます。しかし、元禄十五年(1702年)、宝永三年(1706年)に屋敷を売却し退役します。元禄十五年は、表拾間を木綿仲間四人に譲り、宝永三年は小津清左衛門一人が譲り受けています。
 木綿仲間四人は、小津清左衛門、地主宗三郎、小津三四右衛門、芝原三郎兵衛の伊勢商人です。小津三四右衛門店は、小津三郎右衛門店と手代だった別家の小津屋十右衛門の店を合併した店で、当時は本居宣長の祖父の店でした。
元禄十五年三月の木綿問屋仲間四人が購入した沽券状と屋敷図を小津史料館に展示しています。画像は、雁皮紙に描かれた屋敷図(上半分)です。沽券金三千両、家賃収入は、十二ヶ月合金弐百五拾両弐分銀拾壱匁四分で、店賃と土蔵は地代と個別に書かれています。利回り三千両割る家賃で0.93%強ですから単純計算すると12年で回収できることになります。実際は火事や修繕などで物入りが多くかかりました。(小西)

東都大傳馬街繁栄之図

東都大傳馬街繁栄之図 
 大伝馬町一丁目の長屋は、北側、南側、表口六拾間奥行二十間程で道幅も二十間程でした。北側角から表十五間は、小津清左衛門の家持で小津屋(本店)と伊勢屋(太物店)の二店がありました。現在の小津本館ビルと同じ敷地面積です。

クリアファイルと江戸古地図セット 定価: 550円(本体500円+税)
小津史料館オリジナル商品です。小津和紙店舗で販売しています。
・東都大傳馬街繁栄之図 歌川広重筆 丸久板 天保~弘化
  小津屋清左衛門と伊勢屋清左衛門が描かれています。
・新板大江戸持〇長者鑑 正源堂板 弘化三年
  行事傳馬町小津清左衛門、前頭本町大橋太郎次郎(向店)の名があります。
・俚俗江戸切絵図 喜多川周之図 有光書房版
  原図は、日本橋北尾張屋版です。小津茶・紙、小津木綿とあります。
・日本橋探訪 名所・史跡案内 2017年
  俚俗江戸切絵図を現代版にし史蹟を中心に小津和紙で制作しました。

クリアファイルA4判、「東都大傳馬街繁栄之図/新板大江戸持〇長者鑑」
江戸古地図(機械抄き和紙)A3判、「俚俗江戸切絵図/日本橋探訪 名所・史跡案内」

2020年3月7日土曜日

伊勢商人と江戸店

『伊勢商人と江戸店』大喜多甫文著 2017 
小津清左衛門家、村田孫兵衛家、小津三四右衛門家、長谷川家、川喜田家、冨山家、国分家、三井家、竹内家、津、松坂、射和の伊勢商人を知ることができます。
第一章 伊勢商人の江戸進出
第二章 伊勢商人活躍の要因
第三章 伊勢商人の経営理念
第四章 江戸店について
第五章 伊勢商人の盛衰
第六章 幕末・維新期の伊勢商人
第七章 松坂御為替組と松坂銀札
第八章 松坂商人の文化的活動








2023年9月6日更新

2020年3月6日金曜日

和紙 ー和紙ってなに?ー

『和紙 ー和紙ってなに?ー』小津和紙編纂室 編 定価: 990円(本体900円+税)
小学生から大人向け、英語対訳もあります。手漉き和紙のことがわかります。
小津和紙店舗の他、全国の書店様でもご注文・ご購入いただけます。
ネット御註文は、朝日出版下記サイトをご覧ください。https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255011608/
和紙 ー和紙ってなに?ー