2022年7月2日土曜日

東都大傳馬街繁栄之図に見る大伝馬町一丁目

東都大伝馬街繁栄之図(丸久版)

 『東都大伝馬街繁栄之図』は、歌川広重(1797-1858)の筆により、天保14年(1843)~弘化4年(1847)の間に描かれました。
大伝馬町一丁目全体が描かれています。この左右の屋敷は、三階建ての櫓屋敷になっており、一番組、は組の纏をもった火消が三階から指図を行っていたかもしれません。享保7年(1722)8月の火消は組の受持は、大傳馬町(1~3丁目)、亀井町、難波町、堺町、小網町(1~4丁目)、小舟町(1~3丁目)、油町、堀江町(1~4丁目)、小傳馬町(1~3丁目)、鉄砲町、高砂町、富沢町、長谷川町、人足592人です。ただし、櫓屋敷考の論文には火消にふれていない。筆者の推測である。文化2年(1805)に描かれた絵巻『熈代勝覧』には、本町二丁目辺に二階建ての櫓屋敷らしい屋敷が描かれており、この場所は町年寄役樽与左衛門宅、火消一番組い組が受持。 

櫓屋敷は、北側(右側)に8軒、南側(左側)に14軒。右側奥の小津屋をのぞき、21軒は太物店と呼ばれる木綿問屋です。左側路地奥に升屋七左衛門、木綿問屋があり、合わせて十組大伝馬町組木綿問屋は22軒が営業していました。22株休株。その屋根には、右側に4ヶ所、左側に9ヶ所の櫓が描かれています。
文化3年(1806)の沽券図では、右側奥から小津清左衛門2、伊勢屋長次郎、嶋田善右衛門、川喜田久太夫、伊藤次郎左衛門、長井三郎兵衛、長井惣兵衛、長谷川次郎兵衛、鴻池とみ、左側奥から三井次郎右衛門、田中次郎左衛門3、久須木七左衛門、嶋田善右衛門、長谷川次郎兵衛2、川喜田久太夫2、長井九郎左衛門、長谷川次郎兵衛、小野善九郎の屋敷(計沽券状23)で、各店賃、地代金を家守が集金します。

大道寺友山重祐(1639-1730)が享保12年(1727年)に発表した『落穂集』(巻三 江戸武家方、町屋敷、寺社等普請之事)には、「年迠之義ハ町方普請も丁寧ニ大伝馬町、佐久間町抔町人之表家を三階ニ造、二階三階ニハ黒塗ニて櫛形窓を明双候故殊之外目立申候、ケ様成る屋造抔も酉年に致焼失、町方之義ハ猶更度々火事ニ付町人之家作抔も段々ト軽く相成申候、且又神社仏閣等之義ハ以前ニ合セてハ宜敷なりたる方も有之候由」
町人佐久間は、道中御伝馬役兼帯名主佐久間善八のことで無沽券で拝領した屋敷の内表京間拾間を元禄17年(1704)に、小津清左衛門、地主宗三郎、小津三四右衛門(本居宣長祖父)、芝原三郎兵衛の4人に金三千両で譲渡(沽券状は小津史料館展示)、残り表京間五間を宝永三年(1706)に小津清左衛門に金二千六百両で譲渡し、退役しています。馬込勘解由家が名主を引継ぎます。京間表拾五間奥行弐拾間が、佐久間屋敷です。酉年の火事は、享保2年(1717)122日の小石川馬場火事 、未の下刻に小石川馬場の武家屋敷から出火し、西北風で延焼した。

この時は、小津屋清左衛門、伊勢屋清左衛門の店が佐久間屋敷の場所になります。弘化3年(1846)正月、江戸本郷丸山辺より出火、本店(小津屋)台所、太物店(伊勢屋)大落焼失(小津清左衛門長柱日記(三))した後に作成された屋敷図が残されています(小津史料館展示)参照2020年3月21日土曜日ブログ。現在は、小津和紙、小津史料館がある小津本館ビル。
北島正元編著『江戸商業と伊勢店』には、長谷川次郎兵衛家江戸店の火事について、天明6年(1786)1月22日、すべての店焼失、土蔵穴蔵等いつれも無別条、怪我人等無之、文化3年(1806)3月5日、牛町火事、飛火し、両店(本店丹波屋次郎兵衛・新店長谷川屋源右衛門)、亀屋(武右衛門)、戎屋(六郎次)、向店(長谷川屋次郎吉)類焼、穴蔵や土蔵は無事、文政12年(1829)3月、佐久間火事、大火、天保5年(1834)、甲午火事、五店類焼、ただし土蔵等は無事などがある。そのためか長谷川次郎兵衛の江戸店は町内移転を度々行っている。

右側奥から
・小津屋清左衛門 承応2年(1653)開業、紙問屋、小津清左衛門 勢州松坂
・伊勢屋清左衛門 元禄11年(1698)開業、文政10年(1819)改名、木綿問屋、同上
・布袋屋善右衛門 嶋田善右衛門、京
・川喜田屋久太夫 寛永12年(1635)開業、川喜田久太夫、勢州津
・伊藤屋利助 文化2年(1805)開業、伊藤次郎左衛門、尾州名古屋
・長谷川屋次郎吉 天明3年(1783)開業、長谷川次郎兵衛、勢州松坂
・長谷川屋源右衛門 元禄17年(1704)年開業、同上
・宮島屋與兵衛 天保六年(1835)開業、鴻野与兵衛、阿州

左側奥から
・奈良屋伊右衛門 文化2年(1805)開業、杉本伊右衛門、京
・大和屋三郎兵衛 享保8年(1723)開業、長井三郎兵衛、勢州松坂
・田端屋次郎左衛門 正保2年(1645)開業、田中次郎左衛門、勢州津
・田端屋次郎左衛門新店 元文5年(1740)開業、同上
・升屋佐太郎 天保2年(1831)開業、久須木七左衛門、江戸
・嶋屋六兵衛 明暦元年(1655)開業、岡本六兵衛、勢州松坂
・丸屋藤助 文化2年(1805)開業、丸山藤助、江戸小日向水道町
・亀屋武右衛門 享保10年(1725)開業、長谷川次郎兵衛、勢州松坂
・戎屋六郎次 元文5年(1740)開業、同上
・大黒屋三郎助 向井三郎助、勢州相可
・川喜田屋平四郎 安永5年(1776)開業、川喜田久太夫、勢州津
・綿屋惣兵衛 宝暦7年(1757)開業、長井九郎左衛門、勢州松坂
・大和屋九郎左衛門 元禄9年(1696)開業、同上
・丹波屋次郎兵衛 延宝2年(1764)開業、長谷川次郎兵衛、勢州松坂

伊勢商人が多いのがわかります。ここに居宅している久須木七左衛門も勢州出身です。杉本伊右衛門は、勢州粥村から京都に奉公に出て呉服店を開業、住居を京都に移した家で、千葉、佐倉、佐原にあった店もこの奈良屋です。小津清左衛門、長井九郎左衛門、長谷川次郎兵衛は、松坂で紀州藩御用大年寄などを勤めています。

参考  
東都大伝馬街繁栄之図 桜井版 国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307610 
櫓屋敷考(下)その意味と機能 宮本雅明氏論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijax/360/0/360_KJ00004080471/_pdf
熈代勝覧 日本橋ガイド
古文書を楽しむ 落穂集
へらひん組がなかった「いろは四十八組」 東京消防庁
江戸の町火消しと纏
旧長谷川次郎兵衛家 旧小津清左衛門家 NPO法人松阪歴史文化舎
公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会
(小津史料館 小西)

2022年6月10日金曜日

地租改正沽券図から見る小津清左衛門東京所有地 

 小津清左衛門家には、沽券状が一部残されています。

 『江戸自慢持丸地面競』(嘉永七年、1854年)には、112ヶ所 

『小津清左衛門長柱日記』には、地所と家守の名があり、東京都公文書館デジタルアーカイブに明治六年の地租改正のために作成された地図と比較することで地主、坪数、沽券高を知ることがでました。確認できたのは、50ヶ所でした。 

参照:東京都公文書館デジタルアーカイブ

 https://dasasp03.i-repository.net/il/meta_pub/G0000002tokyoarchv00

第一大区沽券地図 十四小区 大伝馬町一丁目一番、二番、大伝馬町二丁目二十番、通旅籠町一番(小津タカ)、十二番、堀留町一丁目五番、大伝馬塩町十一番、長谷川町八番(小津モト)、新大坂町九番(小津マサ)、浪花町九番、堀江町二丁目八番、小舟町三丁目十一番

五小区 本船町十二番、瀬戸物町五番、本石町四丁目二番、十四番、十五番、廿二番、本町四丁目廿一番、廿二番(小津クマ)、廿三番(小津シガ)

六、七小区 南伝馬町三丁目三番、南槇町十一番

八、九小区 八官町五番、十番

十一小区 鍛冶町三十三番、神田鍋町十四番(小津タカ)

十二小区 馬喰町二丁目十一番

十五、十六小区 南新堀一丁目六番、霊岸島銀町二丁目十七番、日比谷町一番(小澤清左衛門、誤記)

十二小区 岩本町十二番

第二大区沽券地図 二小区 桜田太左衛門町七番、十二番、桜田久保町廿一番

三小区 宇田川町廿三番

第四大区沽券地図 四小区 本郷二丁目十二番

五小区 湯島切通町五番、湯島天神町一丁目十一番、五十二番、五十三番

六小区 下谷茅町二丁目四番

七小区 本郷四丁目一番、二番

第五大区沽券地図 五小区 浅草茶屋町一番

十一小区 浅草田町二丁目八番、九番

第六大区沽券地図 一小区 深川熊井町一番、深川黒江町七番

二小区 深川永堀町五番

四小区 深川西森下町一番

地主名 小津清左衛門 三重縣管下飯高郡松阪本町四番地

    小津クマ 七代清左衛門長保四女、九代長澄妻

   小津シガ 九代清左衛門長澄長女、十代長堯妻、十一代長柱妻(再婚)

   小津マサ 十代清左衛門長堯長女、六歳で早世

   小津モト 十一代清左衛門長柱長女カ、幼少期の名は友、後にタカに改名

   小津タカ 十一代清左衛門長柱長女、分家小津益吉妻

 小津清左衛門家は、婿養子が続いたため娘の名となっています。

合計は、五十筆、九千坪余、金高四万四千二百四十円 (小津史料館 小西)