2024年12月11日水曜日

伊勢神宮 太々講

太々講(だいだいこう)  伊勢参宮のために結成した信仰集団。旅費を積み立てておいて、籤(くじ)に当たった者が代参する。諸々の神社に神楽を奉納する講中。(太太講-コトバンク)

「お伊勢講」という仕組みである。「講」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを合計して代表者の旅費とする。誰が代表者になるかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、当たった者は次回からくじを引く権利が失われたり、数回に一度は講員全員が参詣する「総参り」が行われるなど、「講」の所属者全員がいつかは参詣できるように各講ごとに配慮されていたようである。くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として伊勢へ旅立つことになる。旅の時期は、農閑期が利用される。なお、「講」の代表者は道中の安全のために二、三人程度の組で行くのが通常であった(お蔭参り - Wikipedia)。

年中諸用控 「一金百疋 太々講 ヤマ小 正月集 小遣帳 一金百疋 右同断 吉印 十月集 右同断 一金百疋 右同断 小一 右同断 右同断 一金弐百疋 右同断 辰申仲間貸ニ成 弐月十六日 一店勘定之砌目録箱壱箱為差登候砌為祝義金五拾疋差遣候勢要之節万両□□、此方ゟ差遣候右金五拾ト八円半銭ニて幷水引掛ル」ヤマ小、吉印、小一は屋号の事。

森壷仙(1743-1828)が、『いせ参御蔭之日記』の著書に小津清左衛門の本家店がむすび茶施行を行った記事がある。日記は、明和8年(1771)3月~文化12年(1815)まで。

文化12年(1815)5月4日に「本町小津清左衛門殿ヨリ大橋之上ニ寝候衆へ、むすび茶施行」とある。 これは五日も行われ、7日から21日まで連日むすび施行が続けられている。 そしてふたたび29日に復活、6月1日、2日、3日、4日と行われている。

大橋は、参宮街道に松坂大橋と呼ばれる坂内川にかかる橋で渡って左側二軒目に小津清左衛門の本家店があり、紀州藩松坂勝手方より正米問屋を弘化4年(1847)まで拝命し、江戸店に十組諸国茶問屋大橋屋もあり、むすび茶施行を行ったようです。小津清左衛門長澄(1785-1857)は、紀州藩地士、五十人扶持で、為替方(御為替組)、銀札方(銀札所、藩札発行)、大年寄(町会所)など御用を勤め、また妻とともに裏千家十代認得斎(1770-1826)に師事し、石斎と号し、本居春庭(1763-1828)に和歌を学んでいます。

蔀関月(1747-1797)画、寛政9年(1797)に刊行された『伊勢参宮名所図会』「松坂大橋 西荘の橋といへるハ是也、水上ハ同郡下仁柿村神名原神路山より出て、石津村北を東へ経て猟師平尾村の東を北へ流れて海に入る」橋の右側は、西荘(松坂西町)、左側は松坂本町、左に抜けていくと伊勢神宮。

森壷仙は、小津清左衛門の江戸本店(小津屋清左衛門)の支配人を勤めた小津新兵衛保教の孫ひでの夫で、山村次郎兵衛家当主である。また森壷仙の孫は、西荘文庫で知られる蔵書家、紀行家の小津新兵衛家当主小津久足、江戸店は干鰯問屋湯浅屋与右衛門。

(小津史料館 小西良明)

参考

大神宮叢書神宮司庁 編『いせ参御蔭之日記』 国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239779/254 

伊勢参宮名所図会 5巻 p28 国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555627

小津久足 ウィキペディア(Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B4%A5%E4%B9%85%E8%B6%B3
西荘文庫 ウィキペディア(Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%8D%98%E6%96%87%E5%BA%AB
旧小津清左衛門家 NPO法人松阪歴史文化舎

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