臨済宗南禅寺派 朝熊岳 勝宝山 金剛證寺は、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺は「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢国・志摩国併せて最大の寺となった。また、当寺には虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子が祀られているが、雨宝童子は伊勢神宮内宮の祭神である天照大御神の化現と考えらていたため、当寺は伊勢神宮の奥の院とされるようになった。こういった伊勢神宮との結び付きもあり、当寺では仏事に用いられるのは樒(しきみ)ではなく神事に使われる榊(さかき)が供えられる、全国でも珍しい寺となった。(金剛證寺 - Wikipedia)
年中諸用控 「□□内 一鳥目四百銅 伊勢朝熊嶽 正月御札参り候節遣候可事」
小津家文書10-327 「改年之吉慶不可有際限候、其表店中愈無事可被致重年之珍重存候爰元家内一家中共無異儀罷在候間此段安心可給候、先者年頭之祝儀申入度如此候、猶期永日之時候、恐惶謹言 清左衛門長(花押) 正月五日 大橋彦七殿 孝七殿 平兵衛殿 尚々店一同江も宜敷申入可給候、以上」
安政二年(1855)正月五日、松坂にいる小津清左衛門長柱から江戸向店大橋屋の支配人 彦七、差次 孝七、目代 平兵衛に宛てた年始挨拶である。
小津家文書10-319-12 「年之吉慶□□期申納候、店中愈万福越年被致珍重欣喜之至ニ候、当方全員□□加齢御安意被下候、先ハ右年頭之御祝義申入度如此御座候、□□期永日之時候、草々□□ 清左衛門 一月二日 国吉殿 常吉殿 彦蔵殿 周蔵殿 彦平殿 二伸 昨年者不相変之内鮭被願下辱御礼申入候、年明者天気都合も克嘉例之通初荷初売も□□□取引被致候事と奉存候、私過より春勘定之下調ニ取掛可申諸事入念疎漏無之様注意可有之候也」
明治二十六年(1893)一月二日、松坂にいる小津清左衛門長幸から東京の小津本店支配人 田中国吉、差次 常吉、目代 大市彦蔵、目代 清水周蔵、目代 東京紡績担当 土屋彦平、五人に宛てた年始挨拶である。 (小津史料館 小西良明)
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