2023年5月12日金曜日

神田祭の神幸祭 諫鼓鶏の山車

 小津和紙は、創業者伊勢松坂の小津清左衛門長弘が大傳馬町壱丁目に紙店を承応2(1653)年8月9日に開業してから今年は創業370周年にあたります。昭和4(1929)年1月に法人化し合資会社小津商店になってから94年になります。 

 神田明神 左側に八雲神社

 創業から行われていた日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭、今年は4年ぶりに行われる神田祭。神幸祭(しんこうさい)は、5月13日早朝5時御鍵渡しの儀を行い、発輦祭7時40分頃出発、108の町を諫鼓山車、獅子頭山車などが巡行し夜7時頃に戻り着輦祭(ちゃくれんさい)で締めくくられます。(神田祭特設サイト参照)

 山車の一番は、徳川秀忠により元和元(1615)年6月の山王祭から「御幣猿」(南傳馬町)から「諫鼓鶏」(大傳馬町)に変わっています。(東京都神社庁参照)

 日本橋三越本店で「神田明神と神田祭展」5月10日から5月22日迄、神田明神創建1300年、三越創業350周年 神田明神所蔵の浮世絵や絵巻を無料で公開・展示しています。「諫鼓鶏」の山車も数多く描かれています。絵巻≪神田明神祭礼絵巻 天・地・人≫住吉弘貫(文久3(1863)年)、≪千代田の大奥 神田祭礼上覧≫揚州周延(明治28(1895)年)、≪神田御祭礼 飯田町中坂上ル図≫歌川芳藤(嘉永期)(三越特設サイト参照)(神田明神 粋なカエサル参照)


写真:小津史料館所蔵

撮影時期は不明ですが諫鼓鶏の山車に朝鮮通信使に扮した人物がバチを持って乗っています。人物であればかなりの高さがあったようです。朝鮮通信使が中国故事「諫鼓鳥」を伝えたことを表していると思われます。


 

三天王 ニの宮 大伝馬町八雲神社
三天王 ニの宮の天王祭は、6月5日明神境内を発興し氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋へ渡御して8日に還興していた。このことから大伝馬町天王と称されていた。現在は6月に出雲神社の例大祭が行われます。(中央社協「まちひと」参照)
左右に諫鼓会の銘、天水桶は天保10(1839)年太物問屋仲間が奉納したものです。
 八雲神社の御祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、御利益は厄災消除、厄除けです。
 大伝馬町牛頭天王から慶應4(1868)年6月に大伝馬町八雲神社と改称されました。(神田明神御朱印参照)
 

氏子は慶長11(1606)年大傳馬町起立、御傳馬役兼帯名主の佐久間善八、馬込勘解由が傳馬入用から賄っています。その後佐久間善八が退役し大伝馬町組太物問屋仲間が加わり、現在は地名も日本橋本町三丁目と日本橋大伝馬町に変更されたため日本橋大伝馬町一の部と日本橋本町三丁目東部の有志、諫鼓会が活動しています。諫鼓会は、神田神社兼務社日本橋宝田恵比寿神社祭礼伝統文化行事(七福神巡り、べったら市)を継承しています。

江戸時代、大伝馬町にあった紙店小津屋清左衛門、太物店伊勢屋清左衛門は、明治時代、江戸本店は小津商店、太物店は小津木綿店(昭和18年に合資会社小津木綿店解散、金久商店設立)、昭和54年に株式会社小津商店となります。境内の欄干に氏子である小津商店の銘が刻まれています。


宝田恵比寿神社前を行く、諫鼓鳥山車(5月13日撮影)、田の祭りで雨が降りました。山車には少彦名命(えびす様)、だいこく様が乗っています。
今年は、商売繁盛の神、少彦名命御奉祀(スクナヒコナノミコトのほうし)150年記念。

 馬喰町から来る巡行に馬が何疋も。
御傳馬役だった名主馬込勘解由屋敷跡を通り宝田恵比寿神社を過ぎていきます。






左側奥が小津和紙です。
左に曲がって堀留公園に向かいます。
行列 先導 神幸旗 鉄杖 鼻高面(猿田彦) 神田囃子 諫鼓山車 祭典委員 供奉員 拍子木 太鼓 氏子蔦頭 御防講 由布籠 獅子頭山車 先導騎馬神職 真榊 錦旗 神饌辛櫃 宮鍵講 神部取締役 七色旗 宮司騎馬 御楯 御鉾 紫翳 随神 神名旗 錦蓋 一の宮鳳輦 御胡 御弓 菅翳 巫女・乙女 氏子総代馬車 七色旗 騎馬神職 騎馬千代田区長 紫翳 随神 神名旗 ニの宮鳳輦(少彦名命) 菅翳 七色旗 騎馬神職 騎馬中央区長 御楯 御鉾 真榊 紫翳 隋神 神名旗 菅蓋  三の宮鳳輦 菅翳 騎馬神職 四神旗 由布籠 乙女(市女笠) 雅楽伶人 太神楽曲芸協会(神田明神参照)(小津史料館小西良明)

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