羽黒山 荒澤寺 正善院 黄金堂 於竹大日堂
「於竹大日如来略縁起 密以、吾朝ハ神国といへども、和光同塵の利益不可思議なるが故に、天地開闢の大古より、本地の垂跡海内に普(あまね)く、五濁悪世の末代といへども、諸佛に化現枚挙するなり遑(いとま)あらず、是しかしながら一切衆生を、悉皆済度したまふべき、深重無二の弘誓とぞいふべき、爰に我黄金堂なり安置したてまつる、於竹大日如来の来由を尋ね奉るに、往年元和、寛永のころほひ、武蔵国比企郡に、戒行堅固なる聖ありけり、正身の大日如来を拝せむ事を深く願)ひ、千里の行程をも遠しとせず、我御山に歩みを運ぶ事年久しく成にけり、一とせ例の如く登山して、自坊に暫く止宿の折から、夜中に誰ともなくて告たまはく、汝わが尊容を拝せんと思はヾ、是より江戸に行て佐久間某が召つかひ竹女といふ者を拝すべしとなり、此瑞夢既)に三度に及びけれバ、行者ハ感涙肝に銘じて宿坊なりける、我先人玄良坊宣安にしかくと談話れバ、玄良坊も霊夢を感じて、打連だちて大江戸に登りぬ、佐久間某ハ大傳馬町に住して名高き豪家なるまヽに、尋行てあるじに語るに、是より先に主人夫婦も夢思の告を蒙れる事有て、問もや来ると待たりければ、互に奇異なる佛勅をよろこび、その夜密に竹女が部屋を窺ひ、両人に拝まするに不思議なる哉 平常よりも、殊に端正美麗に見えて、其全身より光明を放ち、一室のうち赫奕(かくやく)たり、行者ハ此度望たりぬと、あまたヽび礼拝稽首し、宣安(せんあん)と倶に終夜誦経し、翌すバあるしに暇を告て両僧互に名残をしげに、泣々本国へ帰り行ぬ斯て竹女ハ次の日より、一間にのみ篭りをりて、昼夜称名を唱へて、四五日ばかりハさてありけるが、寛永十五年三月廿一日の暁、俄に屋上に紫雲たなびき、室内に異香薫じて、大往生を遂をはりぬ、抑此竹女といへるハ、常に佛名を称して慈悲の心深く、かヽる豪富の家に仕へて、聊不足なき身にハあれども、仮初にも五穀を捨ず、我食を減じて乞食牛馬に施し、厨の水盤(なかし)の水落しにハ、布の袋を絞り置て、洗ひ流す雑菜といへども総て徒にハせざりたるとぞ、偖また佐久間夫婦の人ハ度々の奇端を見しより、信心日頃に十倍して、慈悲善根怠る事なく、現當二世の報謝のために、若干の資財を喜捨して、等身の尊像を彫刻し、持佛堂に安置して、朝暮崇敬したりたるが、其後寛文年中にいたりて、かかる尊容を俗家におかむハ、さはいへど勿体なしとて、霊所といひ 由緒といひ、値遇深き佛場なれバ遥々當国に守護し下りて、當山に安置し訖(をはん)ぬ、されバ人口に膾炙(くわいしや)して、或ハ於竹大日如来とも、或ハ佐久間大日とも、拳(こぞり)て称し奉たるぞかし、倩(つらつら)案ずるに、皆これ佛陀の方便にて、或ハ凡俗の少女と化生し、或ハ受戒の行者と応現し、愚痴無知の悪人女人を、安養世界の青蓮華台に、輙(たやす)く乗ぜしめ給はむと成べし、然る間此霊像を拝せん輩、慈悲を元とし、五穀を尊とみ、信心渇仰の心を励まし、現世後生の安穏快楽を、一向に頼み奉るべき者也 維持元文五年庚申四月佛生日 出羽国羽黒山麓黄金堂 於竹大日如来別當玄良坊仲間謹記」嘉永二年(1849)判。
寛永十五年(1638)三月二十一日、お竹さんは、佐久間家の菩提寺、当時馬喰町カ善徳寺に埋葬される。
寛文六年(1666)、大伝馬町壱丁目名主佐久間勘解由は、出羽国羽黒山天宥法印に願い、黄金堂の境内に江戸の職人の手によって三間四面のお堂を建て、「お竹大日堂」と名付けた。
元文五年(1740)七月朔日より閏七月晦日迄、湯島天神に於いて湯殿山別当蓮台寺によって於竹大日如来出開帳、羽黒山麓黄金堂於竹大日如来別当玄良坊仲間は、於竹大日如来略縁起を刷る。
安永六年(1777)七月朔日より六十日間、愛宕山円福寺にて、出羽湯殿山黄金堂玄良坊佐久間おたけ大日如来開帳
文化十二年(1815)七月廿一日より六十日間、金龍山浅草寺境内の念仏堂に於いて玄良坊によって於竹大日如来出開帳、「霊宝に茶釜、前垂、たすきの紐等有り、前垂紐に紫縮緬を用ひたるもおかし」(武江年表)
嘉永二年(1849)三月二十五日より六十日間、両国の回向院において出羽国湯殿山黄金堂玄良坊によって於竹大日如来出開帳、「相撲小屋取払難く候ニ付。開帳四月五日初日と相極メ。」「四月五日開帳初日之処。同月四日ニ紀伊殿逝去ニ付。七日之間鳴物停止之御触出候故。同月十日御停止明ニ付。同月十一日ニ開帳相始メ申候。」(藤岡屋日記)「執事良玄坊(玄良坊)、お竹の蔽膝、庖厨の板流し等、此の前の開帳の時とは其の品かはれるもをかし。雨天続きで参詣少なかりし」(武江年表)
年中諸用控 「一羽黒山おたけ大日如来 春御札参候候其節金百疋遣候、尤拾年之壱年おき百疋 天保弐卯年三月中遣ス 金百疋也 巳三月 御初穂之義者九兵衛遣ス□也 金百疋也 未二月 御初尾之儀右同断□□遣ス 金百疋 弘化五申二月 □□□ 金百疋 文久三年 亥三月晦日奉納 金百疋 慶應三年卯三月廿一日奉納 金百疋 明治六酉五月十七日奉納」
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