2020年3月14日土曜日

於竹大日如来 前編

佐久間善八屋敷

上総国生れ 徳右衛門女(むすめ)佐久間善八屋敷で下女として働き、大日如来の化身とされました。寛永十五年(1638年)三月二十一日卒 佐久間善八は、心光院に京の仏師が彫刻した大日如来の像を安置、 桂昌院(1627~1705)は、流し板を奉納しました。
 心光院 https://shinkoin.com/
小津清左衛門長弘(1625~1710)は、寛永二十年(1643年)紙店に奉公し、承応二年(1653年)に井上仁左衛門から紙店を譲り請け小津屋を創業、延宝五年(1677年)に薬種店大坂屋八右衛門の空き店を譲り請け拡張しています。
馬込勘解由喜與(?~1715)は、寛文六年(1666年)に佐久間善八等と羽黒山正善院黄金堂境内に於竹大日堂を建立し於竹の像を安置、延宝八年(1680年)五月十九日に浅草善徳寺に石碑を建立。石碑に性岸妙智信女とあり。喜與の祖父は三河国大給藩初代藩主松平縫殿頭、妻は馬込勘解由宗円女香。後妻は佐久間善八女。
 黄金堂 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143898
 善徳寺 猫の足あと https://tesshow.jp/kita/temple_akabanew_zentoku.html
馬込勘解由雅珍(?~1742)は、元文五年(1740年)春に別当蓮台寺に参り、七月朔日~閏七月晦日迄 湯島天神に於いて蓮台寺によって大日如来出開帳が行われました。このとき仏大日如来 荒沢不働明王、本尊二躰玄関へ居えていました。
馬込勘解由忠興(1733~98)の時、安永六年(1777年)七月朔日より六十日間、芝愛宕の円福寺に於いて玄良坊によって二回目の大日如来出開帳が行われました。
馬込勘解由是承(1754~1820)の時、文化十二年(1815年)七月廿一日より六十日間、浅草金龍山境内念仏堂に於いて湯殿山黄金堂玄良坊によって三回目の大日如来出開帳が行われました。
馬込勘解由惟長(1814~84)の時、嘉永二年(1849年)三月廿五日より六十日間、両国回向院に於いて湯殿山黄金堂玄良坊によって四回目の大日如来出開帳、本尊於竹大日如来木像座像、不動明王木像を脇に安置し行われました。
史蹟、於竹大日如来井戸跡
昭和四十六年(1971年)五月、於竹大日如来保存会は、小津本館ビルの一角に「史蹟、於竹大日如来井戸跡」を建立。
 小津330年史 お竹大日如来のゆかりhttps://www.ozuwashi.net/330/027.html
平成二十八年(2016年)九月二十五日~十月三十日迄 羽黒山正善院に於いて黄金堂出羽三山大権現御開帳、於竹大日堂於竹大日如来居開帳が行なわれました。
お竹さんについては、湯殿山の麓生れや没年など異説があり、小津木綿店で、関東大震災で焼失するまでは毎月十九日の命日にお竹大日如来の木像(約三尺という)を開帳し、お祀りするのが例となっていました。現在は延宝八年(1680年)五月十九日を命日とし、毎年五月十九日に大安楽寺にて法要が行われています。(小西)
 大安楽寺 猫の足あと https://tesshow.jp/chuo/temple_kodenma_daianraku.html
 国際日本文化研究センター 『於竹大日如来縁起絵巻』  
 http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/otake/index.html

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