2020年3月19日木曜日

大伝馬町一丁目 享保五年(1720年)

徳川吉宗(1684~1751)は、宝永二年(1705年)、紀州和歌山藩五代藩主、享保元年(1716年)、第八代将軍となり、伊勢の山田奉行だった大岡忠相(1677~1752)を南町奉行に任命し、享保の改革を行います。享保五年(1720年)、江戸町火消しいろは四十八組を設置、大伝馬町は「は組」、町人(家持)は、伊勢国出身の久須木家、長井家、小津家などで、又店借は伊勢商人、特に紀州和歌山藩領の勢州白子、松坂、田丸(相可)の江戸店が多くあり改革に協力し ました。

小津屋清左衛門(紙問屋)
 小津清左衛門長康(1681~1741)は、宝永七年(1710年)、父長生から家督を相続し清左衛門と改名しています。享保十四年(1729年)に松坂、大年寄役に仰せつけられています。江戸店は家持。松坂住。
小津清左衛門(伊勢屋、木綿問屋)
 小津孫太夫長英(1678~1731)は、長康の兄で元禄十四年(1701年)に分家し、父長生から木綿問屋伊勢屋を譲り受けています。江戸店は本家から店借。松坂住。
小津屋小右衛門(木綿問屋)
 小津小右衛門泰広(?~1738)は、両親は、土浦の醤油問屋小津小右衛門で土浦で没、母は清左衛門長生四女常、宝永七年(1710年)、清左衛門長生から金百両受領、享保十四年(1729年)、小津小右衛門合力願出。土浦住カ。
小津屋三四右衛門(木綿問屋)
 小津三四右衛門定治(1658~1729)、延宝五年(1677年)、伯父道休の養子となり家督を相続、江戸堀留町に煙草店、両替店を開業、元禄九年(1696年)に小津屋三郎右衛門四代目支配人だった別家小津十右衛門正圓の木綿問屋を譲り受け、元禄十年(1697年)、三郎右衛門、三四右衛門、十右衛門の三店を統合し、十右衛門店を本店としました。松坂住。
小津屋孫右衛門(木綿問屋)
 小津源四郎躬充(1697~1768)、兄孫右衛門元閑没後相続、享保二十年(1735年)小津屋孫右衛門営業不振の為合力願出。松坂住。
丹波屋次郎兵衛(木綿問屋)
 長谷川次郎兵衛政幸(1645~1740)、木綿問屋布屋市左衛門に奉公し、延宝三年(1675年)丹波屋次郎兵衛開業、元禄十五年(1702年)、木綿問屋江嶋屋茂兵衛を譲り受け、長谷川屋源右衛門を開業。松坂住。
長谷川屋源右衛門(木綿問屋)
 長谷川次郎兵衛元忠(1686~1746)、元禄十五年(1702年)、父政幸から長谷川屋源右衛門を任される。松坂住。
布屋市左衛門(木綿問屋)
 長谷川四郎兵衛道由(?~1743)、父市左衛門道専から相続。松坂住。
大和屋九郎左衛門(木綿問屋)
 長井九郎左衛門常尚(1654~1735)、元禄九年(1696年)、木綿問屋大和屋市兵衛から譲り受け、大和屋九郎左衛門を開業。松坂住。
松坂屋長兵衛(木綿問屋)
 小野田八助孝俊(1682~1721)、益田助右衛門弟宗七、妻は三井北家三井高平女すた。宝永元年(1704年)、江戸本町二丁目呉服店松坂屋八助の経営が三井家に移る。三井連家小野田家初代。京小川町住。

三百年後の現在の大傳馬町一丁目は、北側南側二十間の町は中央に分断する道ができ、地名は日本橋本町三丁目と変わっています。そして営業を続ける店は小津屋清左衛門の株式会社小津商店一軒のみとなりました。(小西、8月13日図更新)

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