元禄四年、浄厳律師覚彦により創建された寺で、江戸幕府将軍徳川綱吉から現寺地を得て、霊雲寺を開創した。元禄七年には関八州の真言律宗の総本寺とされた。関東大震災、第二次世界大戦の戦災で堂宇を焼失し、現在の堂宇は戦後復興されたものである。昭和二十二年に真言宗霊雲寺派を公称して真言律宗から独立した(霊雲寺 - Wikipedia)。
年中諸用控「一金三両也 湯島㚑雲寺 於悲様御祈祷国月金百疋増毎年正月十日持参可致事 右ハ九月ゟ御鹿様名前ニ加ル甲寅年四月是迄於志賀様有之候相止家内安全ト共御祈祷致世□□」御鹿様・於志賀様は、小津清左衛門長澄長女、小津清左衛門長堯、長柱の妻(嘉永七年三月十八日卒 享年四十六歳)である。
小津家文書11-51-4 「永代売渡申家屋敷之事 本町四丁目北側東角表口京間八間裏行町並弐拾間地尻横幅京間八間有之・・・」(継書)「前書之町屋鋪此度其許江譲リ渡候、依之五人組名主立合継書致置候所仍如件 文化十二亥年十一月十九日 譲リ渡主清左衛門㊞ 五人組五兵衛㊞ 同清次郎㊞ 同利七㊞ 名主文左衛門㊞ お志賀との」文化十二年十一月の譲り主清左衛門は女戸主となった後家の小津慈源で、孫のお志賀(六歳)に向店大橋屋太郎次郎がある土地を譲った沽券状である。お志賀はその後婿養子を迎える。明治六年、本町四丁目廿三番に小津シガの名があります(地租改正沽券図から見る小津清左衛門東京所有地)。
小津家文書3-121 (包紙)「証状」「証状 一金十両也 右者為小津氏先祖代々菩提幷家門繁栄子孫長久為永代御祈祷大施餓鬼料所寄附也者毎年三月八日修行之永不可退転者也仍証状如件 霊雲寺知事㊞(角印) 嘉永元年戌申五月十五日 小津清左衛門殿」毎年三月八日としているのは創業者小津清左衛門長弘(宝永七年三月八日卒 享年八十六歳)の命日で、嘉永元年五月の施餓鬼供養は、養子の小津清左衛門長柱である。この五月に養子孫助(濱田守造弟)を不縁にしている。
(小津史料館 小西良明)
猫の足あと 宝林山霊雲寺
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