2024年11月23日土曜日

戸隠山 顕光寺

戸隠山勧修院顕光寺は、平安時代から鎌倉時代まで全国にその名を知られた修験道場戸隠十三谷三千坊で多くの修験者や参詣者を集めた。江戸時代は、徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌してる。明治時代は、明治政府によって神仏分離令や修験宗廃止令のため、戸隠山顕光寺は寺を分離して戸隠神社となる(戸隠神社 - Wikipedia)。

年中諸用控には、「一鳥目金百銅 信州戸隠様(貼紙)明治廿八年改正金三拾銭から改五拾銭となっている。「一金百匹 戸隠講 四月講寄之節持参ス 講元升屋太兵衛両国青柳也」四月、戸隠講の寄合に金百疋を持参している、講元升屋太兵衛は、本町一丁目に繰綿・下り蝋燭店を持つ両国に住む青柳氏である。

小津家文書4-168 (封筒)「信濃商会設立変リ証書」(証券界紙)「証 今般信濃商会設置之儀ニ付、唯差引上之御約定ヲ以及調印被下度候也、然ル上者社件ニ付不都合等出来候而も決テ貴店へ御迷惑相掛ヶ申間敷候、依テ為引上趣意如件 信濃国小縣郡上田町商会惣代徳嶋武之助㊞ 石森又四郎㊞ 明治十五年二月廿七日 小津清左衛門殿御支配釜田栄蔵殿」釜田栄蔵については鹿野山神野寺を参照。          

小津家文書1-24 (封筒)「為替証書入 大信堂紙店」の他に明治四拾五年子六月六日、紙商信州上田松尾町大信堂紙店の紙代金の証書三点がある。 

小津家文書2-38 (封筒)「証書壱通 青島信松」「借用金証書」は、大正二年四月弐日、長野縣小縣郡上田町の青島氏の借用書である。(小津史料館 小西 良明)

戸隠神社 https://www.togakushi-jinja.jp/

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