2024年11月28日木曜日

芝愛宕 円福寺

 愛宕権現社は、慶長八年徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建。同神社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことに始まる。明治維新時の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移されたが、関東大震災で焼失。1934年の弘法大師1100年御遠忌記念として銅製で復元され、現在は、1997年に建設された真福寺・愛宕東洋ビル一階外側に祀られている(愛宕神社 (東京都港区) - Wikipedia)。

安永六年七月朔日より六十日間、芝愛宕の(真言宗智山派)円福寺に於いて羽黒山 玄良坊によって於竹大日如来出開帳が行われた。

年中諸用控「拾弐匁 愛宕講 講元竹川氏」(貼紙)「此分見合せ」

小津家文書3-92「申 小津清左衛門 酉 下村正右衛門 戌 坂江吉右衛門 亥 村田七右衛門 子 大橋屋清左衛門 丑 黒江屋孫右衛門 寅 島田新七殿 卯 大村和吉郎 辰 柏原孫左衛門 〆十六年決議□□ □□」明治十六年に決議された明治十七年から二十五年迄の愛宕講の行事当番である。

小津家文書3-90 (包紙)「廻章 竹川講」「口演 御廻章ヲ申上候、然者本日芝愛宕山大祭執行被致候ニ付、参詣罷呉候様被申越候間此度御通達申上候也 但御参詣之御通リニ者午後壱時堀江町田口方へ御入来可申候 小津清左衛門 五月廿四日 柏原孫左衛門様 村田七右衛門様 下村正右衛門様 坂江吉右衛門様最早参詣致候間田口□□候通御断申上也 島田新七様 大村和吉郎様 黒江屋孫右衛門様 大橋屋清左衛門様㊞次第不向御用捨可被成候、以上」

小津家文書28-688 (包紙)「廻章 竹川講」小津家文書28-689 「口演 以廻章ヲ申上候、陳ハ昨日ハ愛宕山御参詣御苦労様ニ奉存候、就テハ其砌入費別紙之通ニ御座候間宜御参引可被成下候、以上 行事小津清左衛門㊞ 五月廿五日 柏原孫右衛門様御済申上候 村田七右衛門様御渡申上候 下村正右衛門様御渡申上候 坂江吉右衛門様引取 嶋田新七様御渡申上候 御厚顔申候 黒江屋孫右衛門様同 大橋屋御店中同 大村和吉郎御済申上候 次第石田御用捨可被成下候」

小津家文書28-691 「記 一金壱円也 御祈祷御払料 一金五円弐拾四銭 田口払但席料女中□□□ 〆金六円弐拾四銭 右九軒割壱名分 一金六拾九銭御届づつ右之通御出金此度御□御願申上候、以上 行事㊞ 五月廿五日 各々様」

小津家文書28-690 「記 一□三円三拾弐銭 あらや □屋□ □□□ 払戻同町分□付 一四拾弐銭 滞納 一□壱円 席料 一五拾銭□□□□ 〆㊞□五円弐拾四銭 右正ニ㊞受取申候 五月廿五日 △久 田口㊞ 御店様」

小津家文書3-91 「文略御高免可被成下候、然者戌愛宕講御為ニ付出頭可仕心組ミ罷在候所、差掛リ無拠用向出来出席致兼候間、ふ□ん御承知可被下候様奉願上候、先者右御断迄申上度、如此御座候也 五月廿九日 (封状表)愛宕講御行事小津清左衛門様 大村和吉郎江御用之」明治十七年五月廿九日、大村和吉郎から小津清左衛門宛、明治十九年の愛宕講には用事がある為出席できない。

明治十七年五月二十四日の芝愛宕山大祭が行われ、行事は、小津清左衛門本店が行事当番で、参加者は、小津清左衛門大伝馬町壱丁目紙店小津屋、本町四丁目紙店大橋屋、柏原孫左衛門本町四丁目呉服店柏屋、塗物店黒江屋、村田七右衛門本町四丁目紙店村田屋、下村正右衛門通旅籠町呉服店大丸屋、坂江吉右衛門本石町四丁目呉服店大黒屋、嶋田新七本船町水油仲買嶋田屋、大村和吉郎は清酒醸造カ、いづれも近隣の店である。 講元竹川氏は不明。                   (小津史料館 小西 良明)

港区/デジタル版 港区のあゆみ 眺望と信仰の名所・愛宕権現社

愛宕神社 https://atago-jinja.com/

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