秋葉寺はもともと新義真言宗であったが、寛永ニ年秋葉寺は曹洞宗に帰属し、可睡斎の末寺となった。貞享ニ年の貞享の秋葉祭り以降、秋葉権現は火難除けの神として広く知られ、全国各地に秋葉講が結成されて、遠州秋葉参りが盛んになった(秋葉権現 - Wikipedia)
伝馬役伊東平左衛門宗仲は、慶長十一年に兼帯大傳馬町名主となり、元和元年五月大坂表より御凱陣遠州浜松宿御馬込橋で御目見江し五百人の人足を引き連れ家康を迎えた、喜んだ家康から伊東苗字から地名馬込に上意、夫より馬込勘解由と名乗ます。
年中諸用控には「遠州秋は宿坊」(貼紙)「嘉永元申年改 一小玉之処銭三百文遣ス 年頭計 支配人久蔵ニ而」「一金百五十疋 正月小一ゟ集メ 秋葉講」小一は上部に小、下部に一の屋号。「一金百疋ヅヽ 遠州秋葉山 本所宿坊へ遣ス」(貼紙)「四ヶ処之内 一金三拾銭 一五九」明治には、一月、五月、九月に奉納している。本所宿坊は、修験道千葉山満願寺のことと思われる(猫の足あと)。
小津家文書29-769 「乍恐以書附奉願上候、東海道沼津宿之儀、去九月十六日夜丑上尅自隣町出火有之、折節東北風烈敷軟付宿内九分通類焼仕候、漸翌十七日辰家財持逃申候間も無之、諸道具等不残焼失仕候、右ニ付今般奉願上候者旧来之御定宿相勤申来候御由緒ニ以、普請御助力相願度何卒格別之御取成ヲ以願意御聞済被下置候ハヽ難有仕合ニ奉存候、尚此上普請出来之上永久不相替御定宿相勤申度御仁恵之程偏ニ奉願上候、依之此段以書附奉申上候呉々茂奉願上候、以上 沼津宿 御定宿 元曽居右衛門㊞ 慶応元丑十月 小津清左衛門様 御支配人御衆中様」
慶応元年(1865)十月、沼津宿 御定宿 元曽居右衛門から小津清左衛門御支配人御衆中宛で隣町から出火し類焼した被害の助力願の書付である。沼津宿 元斎居右衛門は、小津の江戸往来時の定宿である。
小津家文書29-766 「御請書 一金拾㊞五円也 右者私儀先般類焼仕候ニ付其後御願申上候処前書之金子御助力被成下置畳難有仕合ニ奉存候、依之御請一札奉差上候処如件 東海道沼津宿御定宿元曽居右衛門㊞ 慶應元丑十一月 小津様 御三店御衆中様」
慶応元年(1865)十一月、沼津宿 御定宿 元曽居右衛門から小津御三店御衆中宛で、御請書は類焼の助力金拾五円の受領書である。御三店は、小津本店小津屋清左衛門、向店大橋屋太郎次郎、太物店伊勢屋清左衛門である。
岡野谷松兵衛(岡埜谷家古文書)は、江戸茶問屋二十軒仲間大橋屋太郎次郎(小津清左衛門向店)とお茶の取引がある(島田市博物館)。 (小津史料館 小西良明)
島田市博物館 公開中の古文書目録一覧 岡埜谷家古文書目録
猫の足あと 秋葉神社(修験道千葉山満願寺)
秋葉総本殿可睡斎 https://www.kasuisai.or.jp/
秋葉山本宮秋葉神社 https://www.akihasanhongu.jp/
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