深川本誓寺地中 江月院は、浄土宗 本誓寺の子院。
小津家文書5-202 「奉公人請状之事 一此捨吉与申者生国ゟ能存慥成者ニ付、我等請人ニ罷立当午年ゟ丑年迄中年八ヶ年季給金弐両ニ相定、貴殿江手代奉公ニ差出シ申処実正(㊞)也 一御公儀様御法度之儀者不及申御家之御作法為相守可申候、若取逃欠落等致候ハヽ早速当人尋出シ取逃之品相改、我等引請相弁可申候、且諸勝負事堅為致申間敷候事 一宗旨之儀者代々浄土宗深川本誓寺地中江月院旦那ニ紛無御座候、若御法度之宗門抔与申者御座候ハヽ、右寺僧何方迄茂罷出申訳可致候事 一金銀御預ヶ被成国江買物等ニ被遣候節、又者御当地ニ而も取引ニ被遣候節、勘定相違引負等致候ハヽ、我等引請相済シ(㊞)貴殿江少も御損御苦労掛申間敷候事 一此捨吉儀ニ付、惣而何様之六ヶ敷儀出来候共我等引請埒明、貴殿江少も御苦労掛申間敷候、且年季明御縁御座候而御召仕被下候内者、何ヶ年ニ而茂此請状ヲ以我等請人ニ罷立申処相違無(㊞)御座候、為後日請状仍而如件 大傳馬町弐丁目三番地 差配人 善右衛門店 請人 由兵衛㊞ 人主 喜兵衛㊞ 明治三午年三月 小津清左衛門殿」(端裏書)「改源八捨吉」
明治三年(1870)三月、奉公人請状之事は、小津清左衛門本店に勤務する捨吉の契約書である。明治三年から明治十年迄八ヶ年季給金弐両の契約である。元服して源八と改名している。
小津家文書8-265 「引取証 三重縣下伊勢国安藝郡三宅村 生田関治郎 伜 源八 右源八儀我等宿請仕貴殿方江雇人ニ願置候処今般依テ願永暇被下奉有難存候、則下拙迄引取申候、然ル上者当人儀ニ付如何様之事故出来候其我等引請貴殿江一切御迷惑相掛不申候、為後日引取一札依而如件 大傳馬町二丁目三十二番地 扇田豊治郎㊞ 明治十年丑十一月廿八日 小津清左衛門殿 御支配人中」
明治十年(1877)十一月廿八日、引取証は、証券界紙に書かれた源八退職願である。
小津家文書5-200 「奉願上候 今般源八儀依願御暇被下難有仕合ニ奉存候、然ル処源八所持之品物衣類夜着等迄御下渡シ被仰付冥加至極之至ニ奉存候、御礼奉申上候、已上 扇田豊治郎㊞ 明治十年丑十一月廿九日 ㊞ 小津御店 御支配人様」
明治十年(1877)十一月廿九日、源八退職願が認められた礼状である。
生田源八は、三重県鈴鹿市三宅町の出身で鈴鹿の寺から江月院に寺請している。明治三年三月の奉公人請状で同じ江月院は、源八、文松、佐兵衛の三人。(小津史料館 小西良明)
猫の足あと 江月院