2020年4月2日木曜日

庄内藩 慶応四年(1868年)

慶応四辰年二月
「預申入金子之事」は小津史料館に展示しています。
小津清左衛門長柱(1811~76)が、慶応四年(1868年)二月に酒井左衛門尉、庄内藩十一代藩主酒井忠篤(1853~1915)に上納金三百両の証文。差出人勘定組頭佐藤忠助、木部謙蔵、郡代疋田弘右衛門、奥書は家老松平権十郎、松平親懐(1838~1914)。

翻刻
預申金子之事
一金三百両也
左衛門尉勝手向就要用借用被申候処
実正ニ御座候、返済之儀月壱割之利足
相加、当十二月限庄内為登金を以元利
無相違可致返済候、為後日証文仍如件
            酒井左衛門尉内
              勘定組頭
  慶応四辰年二月      佐藤仲助㊞
              勘定組頭
               木部謙蔵㊞
              郡代
               疋田弘右衛門㊞
      小津清左衛門殿
前書之通相違無之候、以上
             家老
              松平権十郎㊞

清左衛門長柱は、紀州藩御為替組御用、大年寄を勤め戦の準備をしますが松坂では戦は起こらず、慶応三年(1867年)四月、大年寄役が廃止されます。慶応四年(1868年)四月に、代勤前川善三郎が京都に於いて太政官会計御用掛りを拝命、明治元年(1868年)九月に、代勤前川仁兵衛が東京に於いて会計附属商法司を拝命、明治二年(1869年)、紀州藩改革によって地士食禄八十五人扶持が廃止されます。
 江戸では、慶応四年(1868年)三~四月、幕府は新政府に江戸城を明け渡します。(無血開城)、七月に江戸を東京に改称し、九月に明治元年となり、天皇は京都を出発し東京に行幸しました。
 庄内藩は、慶応三年(1867年)、藩政改革などで藩論を佐幕派で統一します。十二月、「酒井なければお江戸はたたぬ、おまわりさんには泣く子も黙る」と呼ばれた江戸市中警備の庄内藩新徴組は江戸三田の薩摩藩邸の焼討事件を起こします。慶応四年(1868年)五月、奥羽越列藩同盟を結び、新政府軍と戦いますが、九月に降伏し開城します。十二月、酒井忠篤は改易になり、明治二年(1869年)九月には罪を許されます。家老の松平権十郎は、大内藩(庄内藩から改称)の大参事となり、藩内に洋学所を開設しています。(小西)

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