2025年2月26日水曜日

高野山 金剛峯寺

 金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山。「高野"山"」という名ではあるものの、地理学上の山ではない。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義である。平安時代の弘仁七年(816)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。(高野山 - Wikipedia)

分家二代 小津與次兵衛浄安、享保十一年(1726)、妻豊(四代小津清左衛門長生孫、小津孫太夫長英長女、享保九年三月四日卒 享年二十二歳)の三回忌を営み書置を残し脱走する、紀州熊野及び高野山 金連院に入り僧となる。

五代小津清左衛門長康は、元文五年(1740)、紀州高野山 太師堂に江戸店の隆昌を永代祈祷する。

小津清左衛門長康の妻貞円は、宝暦六年(1756)、道慧(長男、六代小津清左衛門長郷 宝暦五年八月十五日卒 享年三十六歳)菩提のため紀州高野山 金堂へ大香炉を寄進する。

十一代小津清左衛門長柱は、嘉永六年(1853)一月、高野山 蓮金院へ心月院別峯道宗居士(竹川家養子吉三郎)位牌を納める。

(小津史料館 小西良明)

高野山真言宗 総本山金剛峯寺 https://www.koyasan.or.jp/

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