長楽寺は、鳥越明神社の別当寺 真言宗高野山金剛院の末寺(江戸町巡り-浅草元鳥越宮本町)。廃寺。江戸時代の地名は、浅草元鳥越長楽寺門前町で現在は、台東区鳥越二丁目四番あたりに長楽寺はあった(江戸町巡り-浅草元鳥越長楽寺門前町)。
浅草猿屋町御貸付金会所(札差御改正会所)は、現在の浅草橋三丁目内にありました。
年中諸用控 「一小玉伊ロ位 鳥越長楽寺 年頭計」小玉伊ロは符帳。
小津家文書番号なし 「上納金請取証文 高金三千五百両之内 割㊞一金千両 右是者為 御国恩冥加金三千五百両差出之御融通之内江御差加被成下、御用相済御不用之節、御下ヶ被下置候様相願、願之通被 仰付候ニ付、此度書面之通上納請取之候処如件 文化三年寅十二月 樽与左衛門㊞ 大傳馬町壱丁目 小津屋清左衛門との」
小津家文書番号なし 「上納金請取証文 高金三千五百両之内 割㊞一金千両 右是者為 御国恩冥加金三千五百両差出之御融通之内江御差加被成下、御用相済御不用之節、御下ヶ被下置候様相願、願之通被 仰付候ニ付、此度書面之通上納請取之候処如件 文化四年卯五月 樽与左衛門㊞ 大傳馬町壱丁目 小津屋清左衛門との」
小津家文書番号なし 「上納金請取証文 高金三千五百両之内 割㊞一金千五百両 右是者為 御国恩冥加金三千五百両差出之御融通之内江御差加被成下、御用相済御不用之節、御下ヶ被下置候様相願、願之通被 仰付候ニ付、此度書面之通上納請取之候処如件 文化四年卯九月 樽与左衛門㊞ 大傳馬町壱丁目 小津屋清左衛門との」
寛政元年(1789)、幕府は、寛政の改革の棄捐令の際に札差を救済するために浅草猿屋町御貸付金会所(札差御改正会所)を設立します。
同年四月、猿屋町会所に於いて樽与左衛門は樽名字帯刀を許されます。
同年九月、北町奉行所で札差に棄捐令が申渡されます。町年寄 樽屋与左衛門に運営責任者とし、事務を引請けさせ会所の竣工まで樽屋の役宅を用いること、幕府からの助成金として無利息の御下げ金が二十年賦で出されること、貸付け資金は幕府の御下げ金と御用達町人共の出資金であることなどでした。
文化三年(1806)十一月二十五日、御用金徴収のため大伝馬町木綿問屋小津清左衛門らを呼出し出金強用、小津清左衛門は、上納金三千五百両を三回に分けて上納します。その受領書が上記三点になります。
文化十一年(1814)十二月、樽与左衛門は貸付金引負で自殺したといわれてます。届け出は病気に付養子吉五郎が町年寄を相続しています。(小津史料館 小西良明)
東京都神社庁 鳥越神社
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