真言宗大覚寺派 雨降山 大山寺は、江戸時代には当社に参詣する講(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日まで期間に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。大山に2つある瀧・良辧瀧と大瀧で水垢離し、頂上の石尊大権現に登り、持ってきた木太刀を神前に納め、改めて授けられた木太刀を護符として持ち帰った。大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれた。(大山阿夫利神社 - Wikipedia)
年中諸用控 「大山不動尊 渋野掃部」「一鳥目弐百銅 同所 年頭御札御持参候節遣し可申事 尤も此分小遣帳へ付ル」(貼紙)「□□ノ内 一金二拾銭 我等ニテ払帳合成ル 五九」
小津家文書2-66 (封筒)「相良号 天野彦右衛門殿 証書壱通」「印紙壱銭 印紙壱銭 借用金之証 一金四拾円也 右前書之金円要用ニ付、借用候処確実也、返済ノ儀ハ明治廿六年十二月十日限リ金廿円返金之約残金廿円ニハ明治廿七年十一月十日限リ返金約、若シ一時御請求相成候共異議無之且ツ所有財産御留押相成候共不苦候約、為後日借用金之証如件 神奈川縣南多摩郡町田村原町田千弐百廿二番地 明治廿四年三月十七日 借主天野彦右衛門㊞ 小津清左衛門出店主 田中国吉殿 印紙壱銭㊞ 今併約明治廿四年三月十七日付ヲ以テ地所之出入抵当金ニ対シ万一壱期タリ共滞リタル時以上ハ本文ヲ取消壱時ニ御請求相成候共異論無之、依之為後証如件 右 明治廿四年三月十七日 天野彦右衛門㊞ 小津清左衛門出店主 田中国吉殿」
明治二十四年(1891)三月十七日、借用金の証文で、借主は、神奈川縣南多摩郡町田村の相良屋 天野彦右衛門、貸主は小津清左衛門本店支配人 田中国吉である。 (小津史料館 小西良明)
大山阿夫利神社 https://www.afuri.or.jp/
雨降山 大山寺 https://oyamadera.jp/
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