2020年7月9日木曜日

小津三四右衛門歴代

初代
本居武秀道観(天文二十二年生~天正十九年、享年三十九歳)
本居宗助平武連次男佐兵衛。蒲生氏郷の家臣。天正十八年、蒲生氏郷、伊勢から会津に移封されたとき一緒に移る。九戸政実の乱が起こり九戸城近くで討ち死。妻は武秀戦死後松坂小津村に戻り、油屋源右衛門道元に助けられ道印を生む。

二代
小津七右衛門道印(文禄元年生~慶安元年二月八日、享年五十七歳)
父武秀、母不明。松坂魚町に移住し小津姓を名乗り染物を商う。妻は油屋源右衛門道元長女とじ。

三代
小津三郎右衛門道休(慶長十七年生~元禄元年十二月二十七日、享年七十七歳)
父道印、母とじ。次男。弟三男は、小津喜兵衛道仁。
叔父の江戸店、大伝馬町二丁目茶店小津清兵衛で働く。正保二年、大伝馬町一丁目升屋七左衛門店内で木綿売場小津屋三郎右衛門を開業。承応二年、小津清左衛門長弘に開業資金を貸す。承応三年、松坂に戻り日野町の松屋藤左衛門宗昌女ふくと結婚し、隠居家小津孫右衛門を興す。明暦元年、大伝馬町一丁目に木綿店小津屋三四右衛門開業。寛文五年、大伝馬町一丁目に木綿店小津屋孫右衛門開業。延宝五年、隠居し職人町に移る。

四代
小津三四右衛門定治(万治元年生~享保十四年六月十一日、享年七十二歳)
父小津喜兵衛道仁。長男初三郎右衛門。母は小津清兵衛末友二女。妻は、新町の浜田八郎兵衛浄貞女まん、長女つる出産後死去。小津六兵衛宗祐長女と再婚するも離別。西町の荒木太左衛門信入女かんと再々婚。
伯父道休の養子となり、家督を相続。延宝五年、江戸堀留町に煙草店、両替店を開業。元禄九年、大伝馬町一丁目木綿店小津屋十右衛門を譲り受ける。元禄十年、小津屋十右衛門の店を本店小津屋三四右衛門に小津屋三郎右衛門と小津屋三四右衛門を合併。小津屋孫右衛門は、隠居家小津孫右衛門道知に譲る。

五代
小津三四右衛門定利(元禄八年十一月生~元文五年七月二十三日、享年四十六歳)
父小津孫右衛門道智。次男大助。母は、西町の山村宗次右衛門久昌女くに。妻は小津三四右衛門定治二女清。
享保元年、定治の養子となり、弥四郎と改名する。享保三年、実兄孫右衛門元閑の後家清と結婚する。連子は宗五郎。妻清、死去後、村田孫兵衛豊商四女かつと再婚する。
元文五年、定利、江戸店で急死しため休店。

六代
小津三四右衛門定治(正徳二年十月十三日生~宝暦元年二月八日、享年四十歳)
父小津孫右衛門元閑。母小津三四右衛門定治二女清。長男宗五郎。
享保三年、母が再婚したため、小津三四右衛門定利は義父となる。天保十三年、神田紺屋町に居住し、店を持つ。妻はやは離別。元文五年、定利死後、相続する。寛保二年、堀留町の煙草店、両替店を閉業。寛保四年、休業中の小津屋三四右衛門を津島嘉兵衛に譲渡。

七代
本居宣長(享保十五年五月七日生~享和元年九月二十九日、享年七十二歳)
父小津三四右衛門定利。母村田孫兵衛豊商四女かつ。次男冨之助。妻は村田彦太郎女みか、離別。藤堂家津幡医、草深玄弘女かつと再婚。
元文五年、父定利死後、弥四郎と改名する。延享二年、叔父の江戸店小津屋孫右衛門に一年間寄宿。寛保元年、魚町の小津孫右衛門家へ移り、栄貞と改名する。寛延元年、伊勢山田妙見町の紙商、御師の今井田儀左衛門家へ養子、寛延三年今井田家を離縁。宝暦元年、義兄定治死去のため家督を相続、神田紺屋町の店等を整理する。宝暦二年、京都へ遊学。本居姓に復す。宝暦三年、医学を学び、健蔵と改名する。宝暦五年、稚髪、宣長と改名し、小児科の医師となる。寛政四年、紀州藩御針医格五人扶持、後に十人扶持。寛政十年、古事記伝全巻終業。

小津清左衛門家との関係
初代本居武秀道観とは清左衛門家初代三好隼人祐長年とは豊臣豊冨秀吉と織田信雄・徳川家康との小牧・長久手の戦いでは、それぞれ蒲生氏郷軍、織田信雄軍の配下となって戦っています。
三代三郎右衛門道休に三代清左衛門長弘は開業資金の融通、屋号小津屋と家印ウロコキュウの使用を許されています。
五代三四右衛門定利と五代清左衛門 長康の妻玉とは従兄妹になります。
本居家三代本居有郷は、七代清左衛門長郷後家慈源の養子となり御為替組見習までなっていますが離縁しており、離縁しなければ九代清左衛門となっていました。(小西)

0 件のコメント:

コメントを投稿