2020年7月17日金曜日

長井嘉左衛門歴代

初代
長井嘉左衛門直興(天正二年生~嘉永十九年、享年六十九歳)

二代
長井九郎左衛門吉重(慶長十五年生~貞享二年、享年七十六歳)
父は直興

三代
長井九郎左衛門常尚(承応三年生~享保二十年、享年八十二歳)
養父は吉重、妻は寺西彦太夫女。
元禄九年、江戸大伝馬町一丁目木綿店大和屋市兵衛の跡を譲り受け、大和屋九郎左衛門開業。 

四代
長井嘉左衛門直規(延宝八年生~享保十九年、享年五十五歳)
父は常尚、母は寺西彦太夫女。

五代
長井嘉左衛門常孝(元禄三年生~宝暦三年、享年六十三歳)
父は常尚、母は寺西彦太夫女。直規弟。
兄直規死去後、家督を相続し、嘉左衛門と改名する。
元文五年、江戸大伝馬町一丁目木綿店綿屋惣兵衛開業。

六代
長井九郎左衛門直方(享保九年生~明和五年六月二十二日、享年四十五歳)
父は小津次郎左衛門重信、母は小津孫右衛門道智長女千代。二男。妻は村田孫兵衛全次女。
長井嘉左衛門直規へ養子。
宝暦五年、御為替組に加入、十五人扶持。

七代
長井九郎左衛門直延(宝暦九年生~文化九年、享年五十四歳)
父は直方、母は村田孫兵衛全次女、三男。
寛政三年、隠居し嘉左衛門と改名、弟新七に家督を譲る。
寛政七年、御為替組御用を分家長井惣兵衛定栄と交代する。
寛政十年、御為替組御用を惣兵衛から戻し再勤する。

長井九郎左衛門尚明(?~文政三年五月九日)
父は直方、母は村田孫兵衛全次女、四男新七。妻は本居宣長二女美濃。
寛政三年、美濃と結婚し、兄直延へ養子、九郎左衛門尚明と改名する。
寛政九年、長井家内で問題が起こり、大泉八左衛門家へ夫婦で養子、大泉新吾と改名する。
寛政十年、大泉八左衛門家を離縁し、兄直延に復縁、尚明に名を戻す。
享和元年、小津次郎左衛門信業へ夫婦で養子、小津次郎左衛門信厚と改名する。
隠居し、小津勘右衛門尚明に改名する。

八代
長井嘉左衛門尚俊(文化二年生~嘉永四年、享年四十七歳)
父は長井惣兵衛定至、母は長井惣兵衛定栄女。妻は長谷川次郎兵衛元美女久能、芳。
文化十年、御為替組御用、二十五人扶持。
文政六年、銀札役所御用、藩札の発行。
天保三年、地士独礼格。

九代
長井嘉左衛門迫孝(文政元年生~明治三十一年、享年八十一歳)
父は長井惣兵衛宗澄、四男。妻は長井嘉左衛門尚俊女よし。
安政五年、町廻り組大年寄。
文久四年、大御番格

十代
長井嘉左衛門道守(文政九年生~明治三十三年、享年七十五歳)
父は長井惣兵衛宗澄、六男貞蔵。妻は長井嘉左衛門尚俊女かね。

十一代
長井九郎左衛門直雅(明治十六年十二月五日生~昭和十一年、享年五十四歳)
父は小津益吉、母は小津清左衛門長柱長女多賀、二男弘三郎。
明治二十八年、道守の養子となる。
明治三十三年、家督を相続し、嘉左衛門に改名する。
明治三十五年、井桁壱長井九郎左衛門、井桁重綿屋九郎左衛門を井桁壱長井商店、井桁重長井商店に改称する。
大正、衛生材料を取扱い中国へ進出。

長井家は、養子の多い家系であることがわかる。
小津次郎左衛門家は、大伝馬町弐丁目にあった小津清兵衛の支配人の家で独立後、茶・醤油酢の小津屋次郎左衛門を通旅籠町(大伝馬町三丁目)に開業している。
小津孫右衛門や本居宣長、村田孫兵衛は、小津三四右衛門家の親戚である。
大泉八左衛門家からは、分家長井惣兵衛や小津次郎左衛門の養子となり当主となっている。
長井家は、御為替組や大年寄を出す家柄であったため仲間達から縁組がだされ、店はなくなったが現在も鎌倉に家系は続いている。(小西)

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