初代
三好隼人祐長年(?~天正十二年九月十五日)
父は三好筑前守長基(阿波勝瑞城主)、母は不明、兄弟は三好長慶(摂津飯盛山城主)や十河一存(和泉岸和田城主)とされる。
北畠具豊(織田信雄)の家臣木造中将具康(北畠左衛門祐具康)軍の家臣として従軍、豊臣秀吉の家臣蒲生氏郷軍と戸木の戦いで戦死。
二代
森嶋與次太夫長継(天正十三年生~承応三年五月二日、享年六十九歳)
父長年戦死後に誕生、母は、同じ木造中将具康の家臣、佐々木小志摩の娘。兄佐々木九郎左衛門に世話になり、伊勢川崎に居住。叔父は森嶋覚左衛門と改名、猶子となり九郎次郎となる。元和八年、川崎より松坂西町に移住。
三代
小津清左衛門長弘(寛永ニ年生~宝永七年三月八日、享年八十六歳)
父は長継、母は松坂西町の堤仁左衛門の娘。次男太郎次郎。
母の親類京都の斎藤小兵衛の養子となり、江戸本石町の江戸店呉服店に勤め、斎藤清左衛門と名乗る。後離縁して江戸大伝馬町の紙店に勤め、その後独立して小津屋を開業し、小津清左衛門と改名する。妻は川越の人。跡取りなく弟を養子に迎え、隠居し玄久と名乗る。
四代
小津清左衛門長生(寛永十五年生~宝永七年正月十一日、享年七十三歳)
長継の五男、長弘の弟、虎之助。
小津三十郎宗心の太物店に勤め、支配人となり宗心の養子となり家督を相続し小津孫太夫と改名する。妻は、宗心の妻の妹谷。貞享元年、長弘の跡を継ぐため離縁、小津清左衛門長生と改名する。このとき松坂西町から松坂本町に移住。元禄十一年、太物店伊勢屋を開業、後に次男孫大夫長英に店を譲り、孫太夫は分家する後の権右衛門家。
森嶋家は、三女千代に江戸店支配人だった小津七郎兵衛浄喜を婿養子にし相続。
四女常を小津三十郎宗心の跡取り小津小右衛門専久へ嫁がせている。
五代
小津清左衛門長康(天和元年正月二十五日生~寛保元年九月四日、享年六十一歳)
長生三男新五郎、長生死後家督を相続し、小津清左衛門長康と改名する。妻は小津清兵衛道生三女玉。
六代
小津清左衛門長郷(享保五年十二月三十日生~宝暦五年八月十五日、享年三十六歳)
長康長男新五郎、長康死後家督を相続し、小津清左衛門長郷と改名する。妻は津堀川の松田甚十郎女安、長男新五郎出産三か月後死去。後妻は津八町の鈴木多兵衛女音羽。
七代
小津清左衛門長保(宝暦三年四月四日生~寛政六年二月十一日、享年四十二歳)
長郷次男安次郎、母は後妻音羽。長郷死後家督を相続、幼少のため代勤甚兵衛。妻は津八町の医師筒井孝伯義道長女由賀。
天明四年、江戸本町四丁目の大橋屋又太夫を買収、大橋屋太郎次郎として営業を始める。
八代
小津清左衛門長年(寛政五年五月二十七日から寛政十一年九月二十一日、享年七歳)
長保長男太郎次郎、長保死後家督を相続、幼少のため代勤間宮彦助。後見人に母由賀(慈源)、長年死後、女戸主となる。
九代
小津清左衛門長澄(天明五年八月生~文久三年十二月二十七日、享年七十二歳)
父は津八町の医師筒井朴庵順一、次男孫三郎。母は阿川義廣女。享和元年叔母慈源の養子となり、新五郎と改名する。文化三年久満(長保四女、母慈源)と結婚、文化四年家督を相続し小津清左衛門長澄と改名する。文政九年、隠居し與次兵衛と改名する。天保五年、長堯離縁後再勤、天保九年分家小津権右衛門家を離縁義絶、天保十一年、再び隠居する。
十代
小津清左衛門長堯(文化三年五月生~安政七年三月十日、享年五十三歳)
父は尾州名古屋の関戸鉄太郎信房、三男寅五郎。母は松下久右衛門治矩女登勢。長澄の養子となり光三郎と改名する。文政八年、長澄長女志賀と結婚し、文政九年、家督を相続し小津清左衛門長堯と改名する。天保五年、小津家と離縁し、関戸家別家松下家初代松下寅五郎信近となる。西川長蔵長女ちかと再婚する。
十一代
小津清左衛門長柱(文化八年正月生~明治九年三月八日、享年六十六歳)
父は津八町の医師筒井孝伯美顕、三男貫之助、母は谷川氏女妙子。
長澄の養子となる、天保七年、長澄長女志賀の後夫として結婚。天保十一年、家督を相続し小津清左衛門長柱と改名する、明治四年、隠居し、與次兵衛と改名する。明治五年、小津益吉、分家小津権右衛門家を再興し、東家とする。
十二代
小津清左衛門長篤(天保三年十一月十二月生~明治二十年九月二十九日、享年六十三歳)
義父は度会郡桝村の医師西井道仙、母は津八町の医師筒井孝伯美顕の娘、謙之助。
嘉永六年、小津家入家、安政三年、長柱の養子となり長堯二女八百と結婚、勢之助と改名する。安政五年、御為替組見習となり、太郎次郎と改名する。明治四年、家督を相続し、小津清左衛門長篤と改名する。明治十二年、隠居する。
十三代
小津清左衛門長幸(慶応元年四月十日生~明治四十一年二月十四日、享年四十四歳)
長篤長男新五郎。母は長堯二女八百。
明治十二年、家督を相続、明治十六年、小津清左衛門長幸と改名する。妻は、津大門の冨岡太郎兵衛三女都賀。紡績、銀行など設立。
十四代
小津清左衛門長謹(明治二十一年五月六日生~昭和二十七年十二月八日、享年六十五歳)
長幸長男修太郎。明治四十一年、長幸死後、慶應義塾を退学し相続、小津清左衛門長謹と改名する。妻は、奈良五條町の栗山藤作四女民。(小西)
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