日本細糸紡績株式会社
明治二十九(1896)年二月、大阪府西成郡歌島村宇野里に日本細糸紡績設立。資本金四十八万円。
明治三十一年(1898)時の大株主、松本長七、田村利七(1848~1911)、田中国吉(?~1908)、鹿島万兵衛(1849~1928)、長谷川次郎兵衛(1868~1925)。 田村、鹿島、長谷川は東京紡績取締役、田中国吉は、小津清左衛門本店の支配人。
合名会社小津細糸紡績所
明治三十六年(1903)九月、小津清左衛門が日本細糸紡績を買収して、小津細糸紡績所を設立。資本金四十万円、敷地約一万五千坪、建物三千四百六十六坪、精紡機二万錘、撚糸機約八千余錘。敷地内に工員のために学校、病院などがあった。
小津武林起業株式会社
大正九年(1920)、小津細糸紡績所と神戸の武林洋行を合併して小津武林起業を設立。武林洋行は大連などに営業所を持った商社。
昭和二年(1927)、閉鎖。横浜正金銀行が融通していた総額千八百八十万円のうち小津清左衛門長謹(1888~1952)は、私財を処分して約半額九百六十万円を弁済、小津銀行は四日市銀行に吸収合併。義父の栗山藤作(1864~?)は、貸付六百十四万円のうち三百万円を提供したまま隠居したため裁判となった。栗山藤作は、大和国五條町山林王、吉野銀行取締役、大和林業信託代表社員、四女民(1890~?)が長謹の妻の関係から、大正九年(1920)小津武林起業に出資し重役、大正十五年(1926)隠居。
その後、小津武林起業は東洋紡績のものとなっている。
栗山家の屋敷は、国の重要文化財の指定を受け、現在も子孫が住居する。経営する金久商事の屋号カネキュウは小津木綿店(大伝馬町の伊勢屋清左衛門)と同じである。(小西)
金久商事 http://kanekyu-shoji.co.jp/
参考:明治31年時における綿糸紡績会社株主名簿の分析
鈴木 恒夫、小早川 洋一、和田 一夫
学習院大学経済学会 第41巻第3号(通巻124号) 2004年11月
https://www.gakushuin.ac.jp/univ/eco/gakkai/pdf_files/keizai_ronsyuu/contents/4102/4102suzuki.htm
参考:小津武林と正金を繞る保証で危局に起つ…栗山耕作氏
大阪朝日新聞 1933.6.10 (昭和8)
神戸大学電子図書館システム
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00771479&TYPE=HTML_FILE&POS=1
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