明治元年(1868)十一月、商法会所 元締頭取任命される
各種商業の取締りおよび商人より担保をださせて商業資金の貸付を行うことを目的とした。商法司が設置後一年足らずで廃止され、商法会所も自然消滅した。
明治元年(1868)十二月、会計官為替方 元締頭取任命される
御用掛を拝命した小津、長谷川次郎兵衛は、菊の御紋付弓張提灯および会計官御用の小田原提灯を下付され、以後京都への往復における人足継立や金子上納の際、宰領着用のかばんが免許された。会計官基立金に小津、長谷川、各一万両、各金札三千八百両。
明治二年(1869)五月、通商司為替方 頭取任命される、代勤大市彦蔵
外国貿易事務を管理し、その振興を計るのが目的であったが、会計官に転属後、目的が変り、物価の統制・貨幣の流通拡大・輸出入の振興・運輸の監督・諸仲間の統制改良・商社の建設促進などの権限が与えられた。東京築地に通商会社が設置された。
明治二年(1869)十二月、東京為替会社 総頭取に就任、代勤大市彦蔵
金券・銀券・洋銀券・銭券などの為替会社紙幣の発行および個人・通商会社などの貸付が目的であった。社員出資金は、三井高福、16万7千円、小野善助、15万5千円、島田八郎左衛門、9万円、田中次郎左衛門、5万円、川喜田久太夫、3万7千円、小津清左衛門、3万円、長谷川次郎兵衛、1万7千円。貸付金は、個人34万円余、通商会社13万5千円、郵便汽船会社、80万9千円、開墾社、6万円、廻漕会社16万3千円。
東京為替会社は解散、明治六年(1873)七月、三井組、小野組出資で第一国立銀行設立、東京為替会社の失敗で小津は、第一国立銀行に出資していないが口座は持つ、そして小野組が破産してしまい解散、その後に日本銀行が設立される。
小津清左衛門長篤(1832~87)、明治四年(1871)六月、家督を相続。
小津清左衛門長幸(1865~1908)、明治十六年(1883)、家督を相続。
小津清左衛門長謹(1888~1952)、明治四十一年(1908)、家督を相続。
明治三十二年(1899)一月、松阪本町矢下小路に小津銀行創立、資本金十万円、支配人大市彦蔵。
明治三十五年(1902)四月、元三井銀行松阪支店跡に移転。
明治三十六年(1903)、小津銀行新町出張所開設。
明治三十八年(1905)、小津銀行新社屋建築。
昭和二年(1927)、小津銀行、四日市銀行に吸収合併。清左衛門は、行主から取締役。
雙六上り部分(本家店) |
https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/rekisiminzoku/ozu-syouhin.html
小津銀行新社屋 |
小津史料館展示の小津銀行パネル
(小西)
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