2020年6月18日木曜日

和歌山藩松坂領御為替組

和歌山藩松坂領御為替組
宝暦五年(1755)三月、和歌山藩六代藩主徳川宗直(1682~1757)の時、松坂から為替によって江戸へ送る商人の組織、御為替組が設置され、西村喜兵衛、中川清三郎、長井嘉左衛門、小津清左衛門、藤田徳右衛門、殿村惣右衛門、須賀伊兵衛、中里新三郎の八名が加入した。このとき小津清左衛門長郷で和歌山藩地士拾五人扶持を仰付られる。
明和六年(1769)、中川清三郎天寿退役。
安永四年(1775)、長谷川次郎兵衛、村田十郎兵衛が加入。
安永九年(1780)、藤田徳右衛門退役。
天明元年(1781)、坂田五郎兵衛が加入。
寛政七年(1795)、長井嘉左衛門と長井惣兵衛と交替。
寛政八年(1796)、西村喜兵衛退役。
寛政十年(1798)、中里新三郎退役。長井惣兵衛、長井嘉左衛門へ戻す。
寛政十二年(1800)、須賀伊兵衛、村田十郎兵衛退役。
文政六年(1823)二月、銀札会所設置。長谷川次郎兵衛、小津清左衛門、長井嘉左衛門、殿村佐五平、坂田五郎兵衛の名が入った藩札が発行される。同時に三井組(京都本家北家の三井八郎兵衛、松坂北家三井宗十郎、松坂南家三井則右衛門)の藩札発行。

小津史料館展示、藩札


天保六年(1835)、坂田五郎兵衛、殿村惣右衛門(佐五平)退役。
この後は、商人名入から銀札会所名に変更された藩札が発行される。
安政年間、竹内謹一郎が加入。
安政五年(1858)、小津新兵衛が加入。
明治五年(1872)、二月二十七日廃止。このとき御為替組、三井組合せて二十五万両が処分されている。小津清左衛門長柱は八十五人扶持、地士独礼格、大年寄。
藩札は、明治政府発行の太政官札など信用がなく明治五年(1872)まで流通した。松坂札(松坂羽書、銀札)は、明治四年(1871)、新貨条例により壱両壱円と交換されたといわれ、他の藩札のレート基準になった。この藩札は、松坂だけでなく近隣や和歌山でも通用していました。藩札の紙は、御為替組は深野紙、三井組は白子紙が使用された。
藩札については、
 紀州紙幣史の研究 (1985年) (三重県郷土資料叢書〈第99集〉) 紀州古泉会、
 松阪市立歴史民俗資料館 企画展「続・藩札と羽書 MIEのエコマネー」図録
が出版されている。(小西)

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