2020年6月1日月曜日

小津屋清左衛門2.長郷、長保、長年

 小津清左衛門長郷(1720~55)は、寛保元年(1741年)、父長康の死去により家督を相続します。寛保二年(1742年)四月、津堀川の松田甚十郎女安と結婚しますが、寛保三年(1743年)八月、長男新五郎を出産し、十一月に妻安は亡くなります。延享三年(1746年)十一月十一月、長男新五郎も早世します。
 寛延元年(1748年)十一月、江戸本町四丁目北側東角屋敷表口京間八間を金二千五百五拾両で勢州白子町の次兵衛から譲り受けます。
 寛延三年(1750年)十一月、津八丁の鈴木多兵衛女音羽と再婚します。宝暦三年(1753年)四月、次男安次郎が生まれます。
 宝暦三年(1753年)十一月、紀州藩大年寄格に仰せつけられ、宝暦四年(1754年)正月、御紋提灯を預り苗字帯刀を許されます。三月、度々御用金差出候ニ付大年寄格食禄十五人扶持、宝暦五年(1755年)三月、江戸表に於いて御為替組御用を拝命します。八月に亡くなります。
 小津清左衛門長保(1753~94)は、宝暦五年(1755年)十月、父長郷の死去により家督を相続しますが幼少のため祖母貞円(玉)が後見となり、代勤は甚兵衛が行います。
 安永六年(1777年)、継松寺に韓天寿銘文の銅香炉を寄進。韓天寿は、中川長四郎天寿(1727~97)のことで、書家、画家、御為替組御用を務めた江戸・京都・大坂に両替店を持つ中川清三郎家六代目当主です。 
証文之事(部分)天明四年六月
天明四年(1784年)六月、江戸本町四丁目の店子、勢州山田一ノ木の御師大橋又太夫から居宅建家、土蔵、名題・株式など奉公人ともども金四千百五十四両で譲り受けます。「証文之事」の宛先は三好太郎次郎で、これは先祖三好隼人祐長年の三好をとり、太郎次郎は創業者小津清左衛門長弘の幼少名で、店名を大橋屋太郎次郎、また寛政五年(1793年)五月に生まれた長男に太郎次郎と名付けています。 
株札
寛政二年(1790年)十一月、地士帯刀御免、食禄四十人扶持となり、與次太夫と改名。代勤は、手代彦助。寛政三年(1791年)五月、正米問屋元締を命じられ、帯刀免許念頭御目見えの節は熨斗目着用が許され、仲間の上座となり、殿村佐五平家と共同で金二万五千両を上納します。

 「証文之事」「株札」は小津史料館に展示しています。
株札には、「大傳馬町壱丁目 小津与次太夫㊞」と墨書と印が押されています。
 
 小津清左衛門長年(1793~99)は、寛政六年(1794年)二月、父長保の死去により家督を相続しますが幼少のため母慈源(由賀、喜賀)が後見となり、代勤は間宮彦助が行います。十二月、御為替組最上席となり、寛政八年(1796年)、正米問屋御用を拝命しますが、寛政十一年(1799年)九月に早世します。(小西)

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