2020年6月11日木曜日

小津清左衛門5、長篤、長幸、長謹

小津清左衛門長篤(1832~87)、和歌山藩田丸領柳村医師西井道仙義子謙之助、母は長柱の実姉で道仙とは、連子で再婚したようである。嘉永六年(1853)、清左衛門家へ入家、安政三年(1856)、長柱の養子となり、長堯の二女八百と結婚、勢之助と改名、安政五年(1858)、和歌山藩御為替組見習拝命、太郎次郎と改名、明治四年(1871)、長柱から家督を相続、清左衛門に改名、明治十三年(1880)、弟西井格太郎に医師になるための学費などを経済的援助。
明治四年(1871)、東京為替会社廻漕取扱所を霊岸嶋銀町二丁目に設置。砂糖問屋組合結成、明治五年(1872)、和歌山藩御為替組廃止、砂糖問屋組合解散。鳥羽開港社中頭取、
明治六年(1873)、松阪、大三区小三区長拝命、第二中学区取締拝命、学区取締制廃止、区長の兼務となる、鳥羽会社を移転し松阪荷為換会社と改称して開業。明治七年(1874)、横浜万年橋通りに新店小橋屋清左衛門を造営、明治十二年(1879)、和紙問屋壱番組仲間と己卯組結成、有限会社東京洋紙店を引受ける。明治十六年(1883)、長男新五郎に家督を譲り隠居する。
小津清左衛門長幸(1865~1908)、長篤長男新五郎、明治十六年(1883)、家督を相続、明治十七年(1884)、都賀と結婚、木綿店建築、明治十八年(1885)、横浜、小橋屋閉店、明治十九年(1886)、松阪大口湊に廻漕店鱗組設立、明治二十年(1887)、深川大工町、東京紡績設立に参加、明治二十一年(1888)、有限会社東京洋紙会社を小津洋紙店に変更、明治二十四年(1891)、浅草に西嶋製綿所設立、明治二十六年(1893)、松阪殿町に別荘及び茶席を建設、明治三十二年(1899)、松阪本町、小津銀行設立、明治三十六年(1903)、大阪歌島、日本細糸紡績所を買収、小津細糸紡績所に改称、参宮鉄道取締役就任、明治四十年(1907)、三重紡績監査役就任、小津洋紙店解散、土地建物を隣の丸善に売却。
小津清左衛門長謹(1888~1952)、長幸長男修太郎、明治四十一年(1908)、中学卒業後慶応義塾に入学するも父長幸死去の為退学、家督相続、明治四十三年(1910)、関東大水害、小津商店改築、民と結婚、大正三年(1914)、東京紡績、尼崎紡績と合併、取締役退任、三重紡績、大阪紡績と合併し東洋紡績と改称、大正九年(1920)、神戸の武林洋行を買収、小津細糸紡績と合併し、小津武林起業株式会社と改称、大正十二年(1923)、関東大震災、東京三店焼失、昭和二年(1927)、小津銀行、四日市銀行と合併、行主から取締役、小津武林起業閉鎖、昭和三年(1928)、小津本店新店舗完成、昭和四年(1929)、東京三店、合資会社となり清左衛門経営から社員経営となる。合資会社小津商店、合資会社大橋商店、合資会社小津木綿店。(小西)

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