2024年11月21日木曜日

鹿野山 神野寺

 小津清左衛門長康は、元文五年、紀州高野山太師堂、上総の鹿野山に永代祈祷料三十両を納め、江戸店の隆昌を祈祷する(小津商店由来『松阪市史第十二巻』)。


年中諸用控には「 一金五両也 鹿野山神野寺 常燈明油代  一金三両也 同所 月並御祈祷料 国年金百疋増  一金百匹 同所 店初穂  一金百疋 同所 講中 初尾 但し集銭之内ニ包残銭預り増 外ニ青銅弐十疋 舟賃也 此分も講中集銭之内ゟ出ス 右之通私拵毎年三月廿五日出立」とある。毎年三月に鹿野講があり江戸から参詣していた。

小津家文書23-466 (包紙)「寄附金 鹿野山 金拾壱円入 請取書入」  

小津家文書23-467「第十五号 証 一金拾㊞壱円也 右ノ金奉納被成正ニ落掌候也 鹿野山事務所㊞ 明治十七年七月廿一日 釜田栄造様」 

小津家文書23-468「受領証 一金弐拾円也 右御奉納金正請取候也 鹿野山事務所庶務課㊞ 明治十七年七月廿一日 釜田栄蔵殿」

釜田栄蔵は明治十三年に彦兵衛跡小津清左衛門本店支配人、明治十四年二月に渋沢栄一推薦で東京商法会議所に入会、同年六月に退会、小津清左衛門は明治十一年創設時議員だが明治十二年二月に出席致し難く除名退会している(渋沢栄一記念財団「渋沢栄一伝記資料」)。            (小津史料館 小西 良明)

真言宗智山派 鹿野山 神野寺 https://jinyaji.web.fc2.com/

2024年11月20日水曜日

梅林山 梅松院

小津家文書に下古寺村(埼玉県比企郡小川町下古寺167)の梅松院の記録がある。


 年中諸用控の記事には、毎年二月に記録がある。「金百匹 三峯山御札料 二月出府之砌札遣ス」とある。 三峯山は聖護院派天台修験の関東総本山観音院 高雲寺で「三峯大権現」と呼ばれていた。 また梅松院も本山修驗、京都聖護院の末 梅林山龍王寺(梅松院)と号し、水を得るため古寺鍾乳洞に籠って人大龍王の霊験を得た役行者が、自ら龍王の像を彫刻して祀った草庵に始まり、霊場としてしばしば行者の訪れるところとなっていたが、明治維新後の神仏分離に際し、修験宗廃宗とされたため高雲寺、梅松院は廃寺となり、三峯神社、下古寺天満天神社となっている(三峯神社 – Wikipedia、猫の足あと)。

小津家文書3-97 「金子預リ手形之事 一金三拾両()也 但シ文字金也 右金利分を以大般若転読幷護摩供修行天満宮造栄自坊致修覆余力有之候ハヽ、聖護御門主御継目大峯修行官位昇進之助成ニ為可致仙海被附置候、右本金入用之節者何時成共相()渡可申候、為後日金子預リ手形仍而如件 文化己巳二月三日 丸屋金兵衛㊞ 梅松院仙海様」 文化六年に大傳馬町壱丁目小津清左衛門の家守丸屋金兵衛が梅松院仙海宛に差出した文書であるが、印があり写しでないことから差出ていない可能性がある。

小津家文書8-263 「御請書 一金弐()拾両也 右者天満宮為永代護摩料御奉納被下慥ニ請()取幾久敷致神納候、以上 慶応三卯年十一月 武州小川古寺梅松院㊞ 小津清左衛門様 大橋太郎次郎様 伊勢屋清左衛門様」 慶應三年に梅松院から小津清左衛門江戸店三店に宛てた請書である。

下古寺村は、旗本肥田十郎兵衛の知行所で、文化十四年には高六一石余、反別は八町二反余、家数二十・人数百九、うち十軒が紙漉を行っており、前出紙舟役のほかに紙売出役銭四八文を納めていた(コトバンク)。 

下古寺天満天神社は、明治には村社となっている。現在は、手水舎に太宰府天満宮と同じ梅花紋があり、鳥居の両端には八大龍王宮の石塔、鳥居の左側に伊勢大廟参拝記念石柱が二本、社号標村社天神天満宮、境内には、拝殿横に梅林山の扁額かかかり、境内社に八坂神社がある。細い注連縄が鳥居と拝殿にあるが紙垂はなく、石段も落葉が積り管理されていないようである。行者が使っていた古寺鍾乳洞は埼玉県指定天然記念物文化財となっている。

                         (小津史料館 小西良明)

参考

猫の足あと https://tesshow.jp/saitama/ogawa/shrine_fltera_ten.html

コトバンク 下古寺村 

Omairi 下古寺天満天神社 https://omairi.club/spots/130247

2024年5月9日木曜日

紀州藩 銀札会所 万両箱

 銀札会所

 銀札会所で使用された万両箱 旧小津清左衛門家展示(三重県松阪市)


万両箱の鍵(個人所有のため未展示)

小津史料館展示の千両箱
小津清左衛門の家印入り

銀札会所は、御為替組、三井組がありました
文政六年二月時点では、御為替組 
長谷川次郎兵衛、小津清左衛門、長井嘉左衛門、殿村佐五平、坂田五郎兵衛
三井組 三井八郎兵衛 三井宗十郎 三井則右衛門
名前の入った松坂羽書と呼ばれる藩札を発行します
天保六年に、坂田五郎兵衛、殿村惣右衛門が退役
安政年間に、竹内勤一郎、小津新兵衛が加入
藩札は銀札会所の名で発行します
明治五年二月二十七日廃止
                    小津史料館 小西良明

2023年12月27日水曜日

越前奉書目録

 福井県文書館(X0025-02725)に奉書紙目録の古文書が公開されています。

内容は、越前岩本の問屋小林清左衛門から江戸紙問屋小津清左衛門、惣七に宛てた「奉書紙目録」です。

 奉書紙目録

一 大広 三束入 弐櫃  (大広奉書)

   四百七拾三両 御誂漉

   五百〇九両 此分天地人印 壱束宛

   〆

一 真政 四束入 六櫃  (本柾 大奉書)

   五百拾壱両 別誂漉

   五百拾三両 御誂漉

   五百拾四両 同断

   五百拾八両 別誂漉

   五百拾九両 同断

   五百弐拾両 同断

   〆

一 真間 六束入 壱櫃 (間柾 中奉書)

   五百弐拾四両 別誂漉

  〆

都合九櫃也

右之通に御座候、以上

     小林清左衛門㊞(越州岩本)

 申九月

小津清左衛門殿

  惣  七殿

解説

紙荷物は、越前から白子湊で船積みされて江戸に運ばれます。

目録は、合計9箱、4,601両と大金の契約であることが分かります。

誂物(あつらえもの)は、幕府・福井藩の御用紙をはじめ、諸家・諸寺社からの注文により漉いた紙です。

小津清左衛門の江戸店紙店は、小津屋清左衛門、大橋屋太郎次郎があり、主に小津屋は、紀州藩などに、大橋屋(元伊勢御師の紙店)が寺社に販売していたと思われます。商物(あきないもの)は、東日本各地に販売しています。

宛先が小津清左衛門、惣七とあるので小津屋清左衛門、支配人惣七になります。

                        小津史料館 小西良明

2023年10月21日土曜日

恵比寿祭 椙森神社

 毎年10月19日、20日に行われる椙森神社恵比寿祭。

宝田恵比寿神社から露店はつながっています。


右側に木が見えるところに椙森神社があります。









椙森神社、列は拝殿に並ぶ人達です。









拝殿の右側です。

社務所が写真の中央、右側に神輿。








普段は見れない神輿です。









神楽殿

国指定重要無形文化財

江戸里神楽

若山胤雄社中







椙森神社は、社務所に常駐されていますのでオリジナルの御朱印帳や直書きの御朱印を拝受できます。

小津史料館 小西良明

2023年10月20日金曜日

べったら市 宝田恵比寿神社

 宝田恵比寿神社 

毎年10月19日、20日にべったら市が行われます。


左側は昭和通り、右のビルの間が宝田恵比寿神社通りです。


当社の提灯、株式会社小津商店







宝田恵比寿神社の大提灯

大提灯が目印です。神社の前にあります。








神社は、明治座や歌舞伎役者の提灯で飾られています。
右側に御朱印、左側に御守りなど拝受できます。






書置きの御朱印ですが手書きです。
宝田恵比寿神社は、べったら市と正月だけ御朱印がいただけます。
普段は社務所もないので無人です。








神社の前の提灯に馬込勘解由の名が

馬込勘解由は大伝馬町の草分名主で、馬込家は大伝馬町創立(1606年)から明治まで続きました。







神輿と子供神輿

普段は、神田神社に収納されています。

べったら市の時だけ見ることができます。







諫鼓鳥山車

こちらもこの時しか見ることが出ません。

神幸祭(神田神社)、山王祭(日枝神社)では、別の山車になります。






山車には、

昭和23年10月吉日

寄贈 北迫兎吉

とあります。






参道入口です。

昼頃から夜までにぎわいます。

べったら漬けの匂いも、

多くの店がべったら漬けを販売しています。






株式会社江戸屋さんのホームページに、べったら市を紹介しています。

江戸屋さんは、神田神社、大伝馬町八雲神社、宝田恵比寿神社の氏子、諫鼓会の一人です。

https://www.nihonbashi-edoya.co.jp/bettara/

小津史料館 小西良明

2023年5月12日金曜日

神田祭の神幸祭 諫鼓鶏の山車

 小津和紙は、創業者伊勢松坂の小津清左衛門長弘が大傳馬町壱丁目に紙店を承応2(1653)年8月9日に開業してから今年は創業370周年にあたります。昭和4(1929)年1月に法人化し合資会社小津商店になってから94年になります。 

 神田明神 左側に八雲神社

 創業から行われていた日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭、今年は4年ぶりに行われる神田祭。神幸祭(しんこうさい)は、5月13日早朝5時御鍵渡しの儀を行い、発輦祭7時40分頃出発、108の町を諫鼓山車、獅子頭山車などが巡行し夜7時頃に戻り着輦祭(ちゃくれんさい)で締めくくられます。(神田祭特設サイト参照)

 山車の一番は、徳川秀忠により元和元(1615)年6月の山王祭から「御幣猿」(南傳馬町)から「諫鼓鶏」(大傳馬町)に変わっています。(東京都神社庁参照)

 日本橋三越本店で「神田明神と神田祭展」5月10日から5月22日迄、神田明神創建1300年、三越創業350周年 神田明神所蔵の浮世絵や絵巻を無料で公開・展示しています。「諫鼓鶏」の山車も数多く描かれています。絵巻≪神田明神祭礼絵巻 天・地・人≫住吉弘貫(文久3(1863)年)、≪千代田の大奥 神田祭礼上覧≫揚州周延(明治28(1895)年)、≪神田御祭礼 飯田町中坂上ル図≫歌川芳藤(嘉永期)(三越特設サイト参照)(神田明神 粋なカエサル参照)


写真:小津史料館所蔵

撮影時期は不明ですが諫鼓鶏の山車に朝鮮通信使に扮した人物がバチを持って乗っています。人物であればかなりの高さがあったようです。朝鮮通信使が中国故事「諫鼓鳥」を伝えたことを表していると思われます。


 

三天王 ニの宮 大伝馬町八雲神社
三天王 ニの宮の天王祭は、6月5日明神境内を発興し氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋へ渡御して8日に還興していた。このことから大伝馬町天王と称されていた。現在は6月に出雲神社の例大祭が行われます。(中央社協「まちひと」参照)
左右に諫鼓会の銘、天水桶は天保10(1839)年太物問屋仲間が奉納したものです。
 八雲神社の御祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、御利益は厄災消除、厄除けです。
 大伝馬町牛頭天王から慶應4(1868)年6月に大伝馬町八雲神社と改称されました。(神田明神御朱印参照)
 

氏子は慶長11(1606)年大傳馬町起立、御傳馬役兼帯名主の佐久間善八、馬込勘解由が傳馬入用から賄っています。その後佐久間善八が退役し大伝馬町組太物問屋仲間が加わり、現在は地名も日本橋本町三丁目と日本橋大伝馬町に変更されたため日本橋大伝馬町一の部と日本橋本町三丁目東部の有志、諫鼓会が活動しています。諫鼓会は、神田神社兼務社日本橋宝田恵比寿神社祭礼伝統文化行事(七福神巡り、べったら市)を継承しています。

江戸時代、大伝馬町にあった紙店小津屋清左衛門、太物店伊勢屋清左衛門は、明治時代、江戸本店は小津商店、太物店は小津木綿店(昭和18年に合資会社小津木綿店解散、金久商店設立)、昭和54年に株式会社小津商店となります。境内の欄干に氏子である小津商店の銘が刻まれています。


宝田恵比寿神社前を行く、諫鼓鳥山車(5月13日撮影)、田の祭りで雨が降りました。山車には少彦名命(えびす様)、だいこく様が乗っています。
今年は、商売繁盛の神、少彦名命御奉祀(スクナヒコナノミコトのほうし)150年記念。

 馬喰町から来る巡行に馬が何疋も。
御傳馬役だった名主馬込勘解由屋敷跡を通り宝田恵比寿神社を過ぎていきます。






左側奥が小津和紙です。
左に曲がって堀留公園に向かいます。
行列 先導 神幸旗 鉄杖 鼻高面(猿田彦) 神田囃子 諫鼓山車 祭典委員 供奉員 拍子木 太鼓 氏子蔦頭 御防講 由布籠 獅子頭山車 先導騎馬神職 真榊 錦旗 神饌辛櫃 宮鍵講 神部取締役 七色旗 宮司騎馬 御楯 御鉾 紫翳 随神 神名旗 錦蓋 一の宮鳳輦 御胡 御弓 菅翳 巫女・乙女 氏子総代馬車 七色旗 騎馬神職 騎馬千代田区長 紫翳 随神 神名旗 ニの宮鳳輦(少彦名命) 菅翳 七色旗 騎馬神職 騎馬中央区長 御楯 御鉾 真榊 紫翳 隋神 神名旗 菅蓋  三の宮鳳輦 菅翳 騎馬神職 四神旗 由布籠 乙女(市女笠) 雅楽伶人 太神楽曲芸協会(神田明神参照)(小津史料館小西良明)