2020年8月20日木曜日

小津清左衛門木綿店

 小津清左衛門の太物店(木綿問屋)は長生の養子先小津三十郎家で家督を相続し二代目当主小津孫大夫の時、延宝三年に大伝馬町に木綿店小津屋小右衛門を開業しています。貞享元年に離縁し兄小津清左衛門長弘の養子となり四代目小津清左衛門長生となり紙店小津屋清左衛門を経営します。

元禄十年頃に紙店の東隣の旅人宿結城屋源兵衛(小津源兵衛)が穀店に転業し伊勢町に転居した明店を譲り受けます。元禄十一年に木綿株を佐久間庄右衛門から譲り受けます。元禄十一年四月に木綿店小津屋清左衛門を開業します。このとき繰綿株も同時に譲り受けたようです。長生はこの店を元禄十四年春に次男小津孫太夫長英に任せます。元禄十七年三月、名主佐久間善八から表拾間の木綿店屋敷を木綿仲間小津三四右衛門、地主惣三郎、小津清左衛門、芝原三郎兵衛の四人が譲り受けます。宝永三年九月、名主佐久間善八から表五間を譲り受けます。宝永七年正月、長生の死後、三男新五郎が家督を相続し五代目小津清左衛門長康と改名します。

木綿店を経営していた小津孫大夫響忍は寛延二年に死去、小津孫大夫家は、六代目小津清左衛門長郷本家により小津三十郎家から夫婦で養子を迎え、宝暦四年頃、小津権右衛門と改名します。屋権右衛門となります。この時繰綿株も取得したのかもしれません。

文化二年、長谷川文書には、小津清左衛門から宝暦四年に木綿繰綿問屋小津屋権右衛門に変わっています。繰綿問屋小津屋権右衛門は二十番組に属し文化十一年に休株、文政二年十一月に伊勢屋権右衛門と改名しています。文政二年から天保十二年までの白木屋文書「問屋株帳」には木綿問屋伊勢屋権右衛門、文政十年二月、伊勢屋清左衛門改名とあります。また繰綿問屋は小津屋清左衛門が筆頭に掲載されています。文政七年の「江戸買物獨案内」でも木綿問屋伊勢屋権右衛門と掲載されています。文化十四年、小津権右衛門浄円死去、この頃に繰綿株休株となり、同時に本店の経営に変わったようです。

嘉永四年、問屋組合再興では旧幕引継諸目録「諸問屋名前帳」木綿問屋では伊勢屋清左衛門が筆頭に掲載されています。その後明治以後は、小津木綿店となります。昭和四年に合資会社小津木綿店となり小津家から経営が離れ社員経営となります。(小西)

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