森壺仙著の『宝暦咄』に長竹大日堂建立とある。現在の松阪市西之庄町に小津清左衛門が建立したようである。
松阪市史第十二巻 小津家文書 (4)万内所之帳 延宝五年(1677)
万内所之帳は、創業者小津清左衛門長弘が記録した覚である。
長弘は、寛文六年(1666)に夫婦と共に江戸から松坂西町に引越しをしており、弟長生が相続したのは、貞享元年(1684)五月である。
「此屋敷かい申覚」には、西町三丁目小川や善兵衛手前ゟ此屋敷かい申候、但シ我等江戸ニ罷有、小津三郎右衛門殿を頼候而買申候故、売手形ハ小津三郎右衛門殿名付ニして御座候事、其後名を書かへ不申候而其まゝ我等手前ニてかた御座候とある。小津三郎右衛門は承応三年(1654)江戸から松坂に帰っているので此屋敷は、長弘が江戸から移り住んだ住居のようである。実家の森嶋家は西町一丁目にあり、このとき弟才三郎が当主である。
「藪西之庄村田地永代かい申候覚」には、中畑を壱畝八郎兵衛、八歩を善兵衛、此高壱斗弐升七合で金三両で譲り請け年貢米は壱斗弐升に定めている、たつの(延宝四年)十一月二日に手形取置とある。延宝五年(1677)みノ正月廿六日、右之田地ノ内我等屋敷さかいゟ東ノ方ハ長竹庵へ永代きしんニいたし置申候事、以来我等屋敷下水ゟ東ハ長竹分ニ而候、下水通ノ向ノかき迄我等屋敷分也とある。長竹庵は、西之庄村にあったようで其の後、長竹大日堂が建立されたか。長竹庵、長竹大日堂は、松坂中町の養泉寺(森嶋家・小津清左衛門家の菩提寺)の子院か末寺であったようであるが、現在、松阪市西之庄町には、同じ曹洞宗の常足庵が残っているだけである。
寛文六年(1666)に、江戸大伝馬町一丁目佐久間屋敷の下女於竹のため、名主等が出羽湯殿山黄金堂に於竹大日堂を建立し、於竹大日如来像を安置した。このとき小津清左衛門長弘は松坂に帰る年で寄進したようであり、長竹庵、長竹大日堂は、於竹さんに影響を受けて寄進したことが推測できます。
(小津史料館 小西良明)
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