江戸町年寄樽与左衛門 樽屋 拝領屋敷本町二丁目 初代は徳川家康の家臣水野康忠
十二代樽与左衛門(延享三年~文化十一年十二月二十九日、享年六十九歳)は、養子播磨出身岩崎善右衛門で、寛政二年、樽の名字帯刀を許され、天明五年十二月に十一代与左衛門が隠居したため町年寄になり家督を相続します。
文化三年十一月二十五日、御用金徴収のため大傳馬町木綿問屋らを呼出し出金を強要しています。小津清左衛門は御用上納金三千五百両を、文化三年十二月金千両、文化四年五月金千両、九月金千五百両と三回に分けて納めています。(小津史料館展示)
文化十一年十二月二十九日、樽与左衛門は、貸付金引負で自殺をします。その後町奉行の吟味が行われましたが、内密にされ樽屋は守られました。樽与左衛門は、紀州徳川家など御用金を貸付ており返済してもらえず自殺したようです、その後幕府が取立ています。
小津清左衛門は、町名主馬込勘解由にも貸付ており、勘解由は、宇都宮藩に貸付ています。
小津清左衛門も紀州藩御用金を両替商升源に金三千両を貸し付けています。(小津史料館展示)、御用商人である小津清左衛門は紀州藩の御用金の運用采配は自由にまかされていました。
町年寄は、本町一丁目奈良屋市右衛門、本町三丁目喜多村彦右衛門、樽屋の三人が世襲しています。喜多村家でも貸付金引負で町年寄を退役など謹慎処分を受けています。(小西)
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